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日本の無形文化遺産(21件)   

2016年 12月 02日

2016年11月30日(日本時間では12月1日 Am2:00)ユネスコは日本の
「山・鉾・屋台行事」を無形文化遺産に登録することが決まった。
アディスアベバ(エチオピア)で開かれたユネスコの政府間委員会
(24カ国で構成)で採択。

日本で21件目だそうである。そこで21件の無形文化遺産の一覧を以下に記す。

2008年記載
 01)・能楽
 02)・人形浄瑠璃文楽
 03)・歌舞伎

2009年記載
 04)・雅楽
 05)・小千谷縮・越後上布
 ・石州半紙((注)2014年に「和紙:日本の手漉和紙技術」として拡張記載)
 ・日立風流物(茨城) 今回「山・鉾・屋台行事」として拡張記載
 ・京都祇園祭の山鉾行事(京都) 今回「山・鉾・屋台行事」として拡張記載
 06)・甑島のトシドン(鹿児島)
 07)・奥能登のあえのこと(石川)
 08)・早池峰神楽(岩手)
 09)・秋保の田植踊(宮城)
 10)・アイヌ古式舞踊(北海道)
 11)・題目立(奈良)
 12)・大日堂舞楽(秋田)
 13)・チャッキラコ(神奈川)

2010年記載
 14)・組踊
 15)・結城紬

2011年記載
 16)・壬生の花田植(広島)
 17)・佐陀神能(島根)

2012年記載
 18)・那智の田楽(和歌山)

2013年記載
 19)・和食;日本人の伝統的な食文化-正月を例として-

2014年記載
 20)・和紙:日本の手漉和紙技術

2016年記載
 21)・山・鉾・屋台 (全国33箇所の山・鉾・屋台が含まれる)

無形文化遺産の保護に関する条約(無形文化遺産保護条約)は平成15年(2003年)
10月のユネスコ総会において採択され平成18年(2006年)4月に発効しました。
我が国は平成16年(2004年)6月に世界3番目に締結しています。
無形文化遺産は上記条約に基づくもので有形の文化財の保護・継承を目的とした
世界遺産とは異なり芸能や祭り、社会的慣習、伝統工芸技術などが対象。
これまでに世界で336件が登録されている。
2011年に審査された「秩父祭の屋台行事と神楽」(埼玉)と「高山祭の屋台行事」
(岐阜)が、登録済みだった「京都祇園祭の山鉾行事」(京都)、「日立風流物」
(茨城)との類似性を指摘されて登録が見送られたため、政府はこの4件と、
共通の特徴を持つ他の祭り29件を包括し合計33件を1件として提案していた。

に無形文化遺産に関する解説など詳しく書かれています。

山・鉾・屋台行事は「八戸三社大祭の山車行事」(青森)や「博多祇園山笠行事」
(福岡)など地域の安泰や厄よけを願う全国18府県の祭礼行事計33件。
33件の一覧表を下に添付します。
b0118987_05200491.jpg
出典:神戸新聞2016年12月1日夕刊

33件の内容についてNHKのサイトで詳しく解説されていますのでリンクさせていただきます
 

小生が書いた関連ブログへリンク







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    # by seiyo39 | 2016-12-02 05:08 | 役立つ情報 | Trackback | Comments(0)

    累計訪問者数が55万人を突破(2016-11-12)の報告と御礼   

    2016年 11月 13日

    2016年11月12日、本ブログの累計訪問者数が55万人を突破しました。

    訪問していただいた方々に御礼申し上げます。
    皆様のアクセスが励みとなって継続しています。

    累計アクセス数55万までの歩み



    累計訪問者数が45万人を突破(2014-8-8)

    累計訪問者数が40万人を突破(2014-2-14)

    2013年10月12日に累計35万を突破

    2013年5月24日に累計30万を突破

    2012年11月23日に累計25万を突破

    2012年4月28日に累計20万を突破

    2011年9月4日に累計15万を突破

    2010年10月30日に累計10万を突破

    2009年8月xx日に累計5万を突破

    2014年3月から画像容量が無料範囲の1GBに近づいた為、メインのブログを
    下記サイトに移行しました。その後はアクセス数が大幅に減少しています。
     http://blog.goo.ne.jp/chiku39

    でも何とか継続して100万の訪問者数に達するまでは1回/月のペースで
    継続したいと考えています。
    ただ、容量が1GBに近づいていますので写真を使用出来ないのが残念です。

    今後とも宜しくお願い致します。

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    # by seiyo39 | 2016-11-13 06:33 | その他

    神戸はじめ物語 その16 フルコンテナ船「ハワイアンプランター号」が初めて神戸港に入港   

    2016年 11月 02日

    神戸はじめ物語のジャンルで過去、下記の15の記事を書いてきました。
    今回、このシリーズの第16回として1967年9月17日に神戸港、摩耶第3突堤N岸壁に
    日本に初めてフルコンテナ船「ハワイアンプランター号」が寄港した
    話について紹介します。


















    従来の一般貨物船は本船に搭載されているクレーンや人力でばら貨物を
    1個ずつ積み降ろしをしていた為、荷役に大変時間がかかりましたが、
    1960年代になると貨物を箱(コンテナ)に入れ荷役効率を飛躍的に向上させました。
    1967年に米Matson社ハワイアン・プランター号(Hawaiian Planter)
    フルコンテナ船として初めて日本に寄港、神戸には1967年9月17日に
    摩耶第3突堤N岸壁に着岸しました。
    にその当時の写真が掲載されています。
    木下商会のHPに摩耶埠頭(神戸港)での初荷役時にその固縛作業に
    あたったのが木下商会です。以来、神戸港においてコンテナ船ラッシング作業に
    従事していますとの記述がありました。
    日本船では1968年 8月、箱根丸(日本郵船)が初のフルコンテナ船になります。
    ハワイアン・プランター号は三菱重工業神戸造船所でコンテナ船に改造された
    460TEU(*)積のコンテナ船でしたが、約50年経った現在では積載個数10,000TEU積
    のコンテナ船も建造就航しています。

    *TEU(=Twenty-foot Equivalent Unit) コンテナの本数を20フィートコンテナで
     換算したもの。つまり40フィートコンテナは2TEUと言うことになります。

    神戸港は阪神淡路大震災まではコンテナの取り扱量で日本国内でトップの座にありましたが
    2013年現在では世界で50位で上海港のコンテナ荷扱い量の10分の一以下の状態に
    沈み込んでいます。

    詳細なデータは下記サイト
     

    この現状をどう打開していくかが大きな課題です。


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    # by seiyo39 | 2016-11-02 10:45 | 神戸情報 | Trackback | Comments(0)

    神戸はじめ物語 その15 神戸花時計   

    2016年 10月 01日

    神戸はじめ物語のジャンルで過去、下記の14の記事を書いてきました。
    今回、このシリーズの第15回として日本で初めての花時計が建設
    された話について紹介します。
















    b0118987_07000041.jpg
    上の写真は2016年9月30日に撮った神戸花時計です。

    日本で初めて設置された神戸花時計について少し説明します。

    第13代神戸市長の宮崎辰雄氏(1911-2000)の欧米視察経験に基づき発案され
    スイス・ジュネーヴのイギリス公園に設置されていた花時計をモデルにした日本初の
    花時計が製作されることになった。
    神戸市民や神戸市内の企業はこの計画に好意的な反応を示し、多額の寄付金が
    寄せられた。この寄付金を元に花時計の製作が進められ、
    市民有志から神戸市への寄贈という形で設置されることになった。

    花時計の製作は神戸市役所の新庁舎(現在の2号館)建設に合わせて進められ、
    新庁舎完成と同時期にその北側に設置された。昭和32年(1957)4月6日午前、
    新庁舎開庁記念式典に続く形で始動式が行われ、花時計は稼働を開始した。

    花時計は昭和32年(1957)に完成し51年間時を刻んできましたが、平成21年
    (2009)2月に100件の寄付と募金箱による650万円の寄付により更新されました。
    製造、施工はセイコータイムシステム(株)です。



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    # by seiyo39 | 2016-10-01 07:08 | 神戸はじめ物語 | Trackback | Comments(0)

    神戸はじめ物語 その14 日本初のゴルフ場 神戸ゴルフ倶楽部   

    2016年 09月 21日

    神戸はじめ物語のジャンルで過去、下記の13の記事を書いてきました。
    今回、このシリーズの第14回として日本で初めてのゴルフが六甲山で
    始まった神戸ゴルフ倶楽部について紹介します。

    神戸ゴルフ倶楽部(こうべゴルフくらぶ)は1903年5月24日にイギリス人
    貿易商A.H.グルームによって神戸市六甲山上に造られた日本最古の
    ゴルフ場である。

    神戸市が作成した動画にリンクさせていただきます

















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    # by seiyo39 | 2016-09-21 17:30 | 神戸はじめ物語 | Trackback | Comments(2)

    神戸はじめ物語 その13 日本で初めてのケーソン工法を神戸港で実施 By 森垣亀一郎   

    2016年 09月 01日

    神戸はじめ物語のジャンルで過去、下記の12の記事を書いてきました。
    今回、このシリーズの第13回として日本で初めてのケーソン工法を神戸港で
    施工した森垣亀一郎博士について紹介します。
    森垣亀一郎は神戸市土木部長として神戸築港に一生涯を捧げた人物であり
    神戸港の初代港長 J.マーシャルとともに神戸港築港の恩人とも言える
    人物である。













    森垣亀一郎は明治7年(1874)3月22日但馬国豊岡で森垣新治郎の次男
    として生まれた。亀一郎が5歳のときに父新治郎が急死しその後は母親の
    ちくにより育てられた。天童と言われ豊岡小学校校長だった神矢粛一から
    可愛がられ地元の資産家富田仙助の援助を受け14歳の亀一郎少年は明治21年
    (1888)3月東京尋常中学校に進みその後明治23年に一高から東京帝大の
    土木工学科に進学、明治31年(1898)に卒業したこの頃は日清戦争の終わった
    頃で淀川、利根川、信濃川など代表河川の改修工事が次々に続き古市公威、
    石黒五十二、沖野忠雄など土木の権威者がこてらの工事を指導していた。
    明治31年(1898)8月15日大阪市築港事務所技手として奉職その後技師
    となり現場、設計の勉強もして技術を蓄積していった。明治33年(1990)
    神矢粛一の次女ふみと結婚(3男1女)した。明治34年(1991)桟橋工場
    の主任として大阪港の桟橋建設に注力明治36年9月には竣工させた。
    この時期に小豆島の西北にある犬島砕石工場に移り約2.5年をここで過ごした
    明治39年(1906)4月神戸港の建設責任者となるべく大蔵省技師となり、
    明治40年(1907)6月には神戸港繋船岸壁工事主任となった。
    明治40年9月には神戸港第一期修築工事の起工式が小野浜の埋め立て地で
    行われ第1~第4突堤と東防波堤(1,149m)の建設が進められた。
    総工費:約1,509万円 所管:大蔵省&内務省
    竣工は大正11年(1922)5月16日
    その頃オランダのロッテルダムで新しい工法であるケーソン工法が採用された
    情報を得て、同年6月15日より翌明治41年(1908)2月まで欧米に出張、
    ケーソン技術の資料を持って帰国。川崎造船にケーソンを制作させ明治43年
    (1910)3月1号函の進水に成功。森垣亀一郎36歳での快挙である。
    明治44年(1911)には防波堤工場主任も兼務。大正2年沖野忠雄博士の要請を
    受け神戸出張所在勤となり、大正8年(1919)内務省技師を兼ねる。
    同年森垣技師は東京大学に学位請求論文を提出、無事通過工学博士となる。
    大正12年(1923)神戸市港湾部長、
    都市計画部技師長、のち土木部長となり、この間、13年再び欧米を視察した。



    没年は昭和9年(1934)1月23日
    顕彰会が1967年に下記の著書を発刊されています。国立国会図書館蔵
    タイトル森垣亀一郎伝
    著者森垣博士功績顕彰会 編
    出版地神戸
    出版社森垣博士功績顕彰会
    出版年1967

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    上の写真は明治42年(1909)の神戸市の地図
    出典:神戸市史 附図
    神戸港築港 第1期工事(明治40年起工 大正11年竣工)が点線で記載

    b0118987_17511269.jpg
    b0118987_17510325.jpg
    b0118987_17505386.jpg
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    上の4枚の写真は現代の築港工事に使用される重機
    出典:神戸築港資料館(ピア しっくす) 説明パネル







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    # by seiyo39 | 2016-09-01 17:59 | 神戸はじめ物語 | Trackback(1) | Comments(0)

    神戸はじめ物語 その12 神戸初の本格的な中華料理店 「杏香楼」   

    2016年 08月 29日

    神戸はじめ物語のジャンルで過去、下記の11の記事を書いてきました。
    今回、このシリーズの第12回として初の中華料理(広東料理)「杏香楼」
    について紹介します。











    第11回 パーマネント

    さて本題の「杏香楼」について記載していきます。

    神戸初の本格的な中華料理店言われるが、現存していない。

    1890年代に南京町の南側、現在の中央区栄町通1丁目で開店した広東料理店

    神戸に多いのは広東料理で、北京料理が続くといわれる。


    以上は神戸学検定 公式テキスト Page12よりピックアップ


    大正13年(1923)の関西学院と高野山大学との間で交換学術講演会の後の

    懇親会で「杏香楼」が使用されたとの記事がありましたのでこの頃はまだ

    店が存続していたようです。


    参照サイト:http://www.kwansei.ac.jp/yoshioka/yoshioka_003936_3.html


    大阪朝日新聞 1930.5.8(昭和5)の記事で

    海員組合総会後の懇親会で「杏香楼」が使用されたとの記事がありました

    ので昭和5年(1930)でもまだ存続していたようです。



    店が存続していたようです。


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    # by seiyo39 | 2016-08-29 18:03 | 神戸はじめ物語 | Trackback | Comments(0)

    リオ五輪テニスで錦織圭選手が仏のガエル・モンフィス選手をくだし準決勝に進出   

    2016年 08月 13日

    リオ五輪テニス準々決勝で錦織圭選手はフランスのガエル・モンフィス選手
    と対戦2対1で勝利し準決勝に進出しました。

    ガエル・モンフィス選手にマッチポイントを握られ苦しめられましたが
    脅威の粘りで何とか勝利できました。

    NHKテレビBS1でライブで観ていましたがハラハラドキドキでした。

    準決勝では前回のロンドン五輪金メダリストの英国のマレーと明日
    対戦します。

    b0118987_06384349.jpg

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    # by seiyo39 | 2016-08-13 06:41 | その他 | Trackback | Comments(0)

    神戸はじめ物語 その11 パーマネント   

    2016年 08月 11日

    神戸はじめ物語のジャンルで過去、下記の10の記事を書いてきました。
    今回、このシリーズの第11回としてパーマネントについて紹介します。











    さて本題のパーマネントについて記載していきます。

    パーマネントはパーマネントウエーブ (permanent wave)の略語で単にパーマと
    呼ばれる場合もあります。毛髪に化学反応を用いて人工的な縮毛を形成する美容
    技術、もしくはそれによって得られる髪型のことである。
    ヘアーアイロンやヘアドライヤーで作る一時的なウェーブに対し、水に濡らしても
    「半永久的 (permanent) に形の崩れないウェーブ」という意味で生まれた用語

    これから用いる画像は市民グラフ こうべ No.240 1992.10より使用します。

    大正12年(1923)アメリカのエンプレス父子がパーマネント機械一式を持って
    日本へ技術の伝播とパーマネント機械の売り込みに来た。当初、東京での売り込み
    を予定していたが9月1日の関東大震災のニュースを得て、急遽横浜港から神戸港
    に行先を変更した。日本で最初にパーメネント技術を習ったのは紺谷すみである。
    紺谷すみは資料によっては紺谷寿美子と記載。紺谷すみの夫の紺谷安太郎は当時
    海岸通りにあったオリエンタルホテルで理髪店を営業していたことから、以前より
    紺谷寿美子はパーマネントという新しい技術の情報を持っていた。
    パーマネントは一度かけると半年もつという評判から紺谷すみはエンプレスさんが
    持ち込んだパーマ機を購入し、技術の手ほどきを受けた。

    紺谷スミはパーマネントの技術を外国人にも満足してもらうため昭和2年(1927)
    50歳近い年齢で本場のヨーロッパで勉強しようと思い立ち、貨物船に乗って
    フランスに渡った。
    帰国後は、三宮で紺谷美容倶楽部を開き、初めは外国人の客が多かったが、
    ハイカラ文化を好む神戸の女性の間でも広がった。
    その後、国産のパーマネント機の開発などによって、全国的に普及した。

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    上の写真は日本で最初にパーマネント機をエンプレス父子から導入した
    紺谷安太郎、すみ夫妻とエンプレス親子

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    上の写真は国産1号のパーマネント機(昭和9年(1934))
    このパーマ機は神戸市立博物館に所蔵されています。

    パーマネント国産機の開発は神戸市灘区桜口町の村瀬己之市氏や元町の
    坪内好一氏らが考案し特許も取得しています。

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    上の写真は昭和11年頃のパーマネント風景(村橋美容院で)
    b0118987_10212138.jpg
    同じテーマで 月刊 KOBE グー No.209 平成24年(2012)10月でも
    取り上げられています。

    また飛松中学校のHPでもまとめられています。(下のサイト)




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    # by seiyo39 | 2016-08-11 11:20 | 神戸はじめ物語 | Trackback(1) | Comments(0)

    曾禰達蔵が設計施工した明治の建築 ファミリアホール   

    2016年 07月 02日

    ファミリアホール(旧三菱銀行神戸支店)が高層マンションの建設のため、
    2016年7月中旬から解体されます。

    そこで以前に紹介した記事を再掲するとともに2016年7月1日に行われた
    見学会の様子を紹介します。

    今回の見学会で公開されたのは1階部分のみである。
    延べ床面積約2400平方メートルのホールの内装には、大理石や御影石
    が用いられ、銀行だったころに使われたカウンターや、ステンレス製の
    重厚な大金庫が印象的であった。(下の写真)
    b0118987_06421970.jpg

    詳細は下記ブロッグで写真紹介。


    2010年12月22日にファミリアホールの写真を撮りましたので写真紹介します。

    ファミリアホール(下の写真)明治33年(1900)旧三菱銀行神戸支店として竣工された
    歴史的建造物である。
    住所:神戸市中央区相生町1-1-21 

    地図はこちら
       
    建築設計者は曾禰達蔵。尚、ファミリアはスヌーピーなどのキャラクターを採用した乳幼児を
    中心としたアパレルメーカーである。
    曾禰達蔵は工部大学校(現東京大学)建築科の第1回卒業生で神戸市内には
    明治38年(1905)の東京倉庫兵庫出張所(その後石川ビル)、大正7年(1918)
    日本郵船神戸支店、大正13年(1924)の神戸栄光教会などがある。
    1908年以降は後輩の中條精一郎(1868-1936)とともに曾禰・中條建築事務所
    を設立し数々の名建築を残しています。
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    神戸市教育委員会が1990年に刊行した神戸の近代洋風建築のPage14に
    昭和10年当時撮影の写真がありますが現在のものとちょっと違っているようです。
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    # by seiyo39 | 2016-07-02 06:50 | 神戸情報 | Trackback | Comments(0)