明石空襲の碑 |
上の写真が明石空襲の碑です。(2010-1-29撮影)
毎年8月15日の正午に黙祷を捧げるとのことですが年々参加者が少なく
なっているとのことです。
上の写真は明石空襲の碑をつくる会が調べた空襲の記録です。
昭和20年(1945)1月19日 3時51分 米軍8機による川崎航空機工場への
空襲があり263人の死者が出たこと、明石公園で同年6月9日9時54分
米軍9機による空襲があり269人の死者が出たこと、同年7月7日 0時15分と
1時35分 の空襲で市街地の63%が消失し355人の犠牲者が出たことなど
合計1,496人が空襲の犠牲になったことが記載されています。
また、先般の阪神淡路大震災での被害の状況を伝えるため平成9年(1997)に建立
された碑文も前方にありました。
「平成7年(1995)1月17日 午前5時46分マグニチュード7.2の兵庫県南部地震により、
ご覧のように約4トンもの碑も約5センチ北東へ移動しました。復元工事も考えましたが、
このあたりの地震変位の証しとして遺すことにしました。
なお、平成9年3月発行、明石市資料には次のような記述が載っています。
「明石周辺の地盤は、北東方向に60~70センチ変位したものと考えられる」
平成9年(1997)8月15日、明石市空襲を記録する会」と書かれています。
川辺石材美術工業所の寄贈。
兵庫県が明石の空襲に関してまとめられていますのでリンクさせていただきます。