明治天皇歌碑 in 舞子公園 on 2010-9-4(改訂版) |
再度写真紹介します。 撮影日:2010-9-4
下記記事について、若干追加してアップします(2013-4-3見直し)
明治天皇は舞子の地がお気に入りのようで、この附近の行幸は7回にも
のぼるそうです。
碑の形は天皇の神輿(鳳輦(ほうれん))をデザイン。
平成10年(1998)に現在地に移転(明石海峡大橋の架橋に伴なう国道2号線の拡幅工事)
上の写真は明治天皇歌碑の遠景。歌碑は昭和11年(1936)に建設されています。
歌碑正面で「はりまがた 舞子の浜に 旅寝して 見し夜こひしき 月の影かな」と
詠まれています。
歌碑の右面(東面)で「あしたつの 舞子の浜の 松原は 千代をやしなう
処なりけり」と詠まれています。
歌碑の左面(西面)には「播磨潟 舞子の浜の 浜松に かげに遊びし 春惜しぞ思う」
と詠まれています。
上の写真はこの歌碑の建設の由来が書かれています。(北面)
恭シク惟ルニ 明治天皇舞子に行幸アラセラルコト御七回舞子風景御追憶ノ御製三首アリ
舞子及ヒ縣民ノ栄誉之ニ過ギタルハ莫シ殊ニ明治十八年七月山口廣島岡山三縣御巡幸ノ
御砌畏クモ陸路蹕ヲ本縣ニ進メタマヒ八月八日姫路ニ九日明石ニ御駐輦アラセラレ
翌十日神戸ニ向ハセタマヒ御途次舞子河合卯兵衛宅(亀屋旅館)ニ御小休アリ。
漁民捕魚ノ状ヲ叡覧アラセラル蓋シ破格の聖恩ナリ大正年間国道拡張ノ工起ルニ及ヒ
當年ノ御遺蹟其名残ヲ留メサルニ至ル洵ニ恐懼ニ堪ヘサルナリ因リテ舞子御追憶ノ
御製ヲ刻シ奉リタル碑ヲ此地ニ建テ以テ之ヲ永遠ニ伝フ庶クハ聖徳拝慕ニ資スルコトヲ得ン
昭和十一年十一月三日 兵庫県知事岡田周造謹ミテ誌ス
碑設計者 神戸高等工業学校長古宇田實
詳細な解説を小さな旅/街角ウォッチング で小田桐 一良氏がまとめられていますので
リンクさせていただきます。
舞子が浜には高級料亭として「亀屋」「萬亀楼」「左海屋」があったそうです。
これらについて、またの機会に調査してみたいと思っています。
最後に上の写真は別の角度から見た明治天皇歌碑です。
以前に紹介した小生のBlog
明治天皇大本営跡の碑(小生のBlog)