五色塚古墳、小壷古墳と第7回れんげまつり on 2011-4-17 |
写真紹介します。
撮影:2011-4-17
住所:兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目 TEL:078-707-3131(月曜 定休)
五色塚古墳は3段構築の前方後円墳で、全長194m、高さは前方部で11.5m、
後円部で18mである。
(上段の長さは約150m中段の長さは約170m下段の長さは約194m)
後円部の直径は墳頂で約30m、段部で約72m中段で約100m、下段で約125mである。
兵庫県下で最大の古墳である。全国では40番目の大きさ。
築造年代は4世紀末か5世紀初頭であろうと推定されています。
被葬者は地方の豪族と推定されています。
日本書紀の記述でも五色塚古墳に関する部分があり仲哀天皇の偽の墓で葺石(ふきいし)
は淡路島から船で運んできたと記載されています。
石室なども丁寧につくられており、偽物ではないとの見方もあります。
斜面には葺石(ふきいし)が葺かれその数は223万個 重量にして2,784トンあります。
葺石は下段のほうは地元の古墳周辺から集められた小石で上段部になると大きなものだと
直径30cmくらいにもなり淡路島から運ばれてきたと推定されています。
さらに出土した埴輪は総数2,200本と推定されています。
五色塚古墳の西側には直径60メートルの円形の「小壷(こつぼ)古墳」があります。
五色塚古墳は大正10年(1921)に小壷古墳(円墳)とともに国指定史跡に
指定されています。
昭和40年(1965)から史跡環境整備計画の一環として約10年の歳月をかけて
復旧復元工事が行われ現在に至っています。
東側のくびれ部には1辺約20m高さ1.5mの方形墳(マウント)が築かれている。(現存)
マウントの斜面には葺石が葺かれていました。葺石の上から土師器(はじき)
須恵器(すえき)、埴輪などの破片も発見されています。
さらに北東マウントからは埴輪円筒棺が2個発見されました。
マウントは現在は芝生で整備されています。
また西側にも小さな小墳丘が存在していたことが過去の調査で確認されている。
五色塚古墳の周辺には遊女塚、小塚、四ツ塚、七ツ塚などと呼ばれる小古墳が存在
していたと伝えられているが位置や基数など発掘されておらず不明である。
上の写真は第7回れんげまつりの準備で花苗プレゼントと球根ちかみどりの
イベントを準備中のテントをメインに撮ったものです。
他に屋台でカレー、おでん、豚汁や産地直送の野菜の販売、投げ輪などの遊びコーナー
などNPO法人輝かすみが丘が主催のイベントです。
上の写真は入場のときの事務所の中に展示されている鰭付円筒埴輪と
鰭付朝顔形埴輪(一番左の背の高い埴輪)です。
上の写真は葺石(ふきいし)の部分と第7回れんげまつりが行われているテント群。
歌敷山中学校社会福祉協議会などのテントが見られました。
上の写真は後円部の頂上から明石海峡大橋方面を撮ったもので、
淡路島もはっきりと見ることが出来ます。
手前のほうに写っている鰭付円筒埴輪と鰭付朝顔形埴輪は最近(2011年3月?)
復元されたもので鰭付円筒埴輪4~6個につき1個の鰭付朝顔形埴輪が
配列されています。
埴輪列は幅0.5~0.7m、深さ0.4~0.5mの溝を掘り、鰭が接するか重なる
ように並べ、土で埋めて固定されています。
上の写真は後円部の頂上から撮った小壷古墳です。
小壷古墳は直径70m、高さ8.5mの円墳で、墳丘は2段になっており、墳頂部と中段の
平坦部には五色塚古墳と同型の鰭付円筒埴輪(ひれつきえんとうはにわ)が
めがらされていました。斜面の葺石はなかった。
小壷古墳の造立年代は五色塚古墳とほぼ同じ4世紀後半ごろと推定されています。
上の写真は東側のマンションの前の通路ですが、マンションが1985年に建設工事を
開始されるあたり発掘調査され幅2~5m 深さ0.2~0.7mの濠が発見されました
濠の位置が歩道になっています。
これにより、濠は2重になっていたことが実証されました。
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五色塚古墳 in 2009-2-11 (小生のBlog)へリンク
五色塚古墳、小壷古墳(小生のBlog)