京都散策記 その1 滝口寺 |
に行ってきましたので写真紹介します。
撮影:2011-6-6
滝口寺の基本情報
住所:京都市右京区嵯峨亀山町10番地の4
TEL:075-871-3929
旧名称: 往生院 三宝寺
宗派:浄土宗 山号:小倉山
上の写真は本堂に安置されている二人(滝口入道と横笛)の木像です。
「京都市が作成した説明書きより要約引用させていただきます。
滝口寺は、もと良鎮(りょうちん)上人(法然の弟子)の開祖にかかる往生院の子院で、三宝寺と称し、
浄土宗に属していたが、明治維新の際、廃絶してしまった。
かっての三宝寺には滝口入道と横笛の悲恋物語が伝えられていたところから滝口寺と呼ばれていた。
近年有志により庵室が建てられ、清涼寺内の史跡となって蘇った。
本堂には三宝寺の遺物である滝口入道と横笛の木像を安置している。
滝口入道は、名を斎藤時頼といい、宮中の警護ににあたる滝口の武士であったが、建礼門院の雑仕女
横笛を見初めて恋に陥った。
しかし、滝口入道の父親はその恋を許さず、そのため時頼は19歳で往生院に出家してしまった。
滝口入道の出家を知った横笛は往生院を訪ねるが、滝口入道は修業の妨げと、横笛と会わなかった。
横笛は悲しみのあまり大堰川に身を沈めたとも奈良の法華寺に出家したともいう。
滝口入道は、のち高野山清浄院に入って高野聖となり元暦元年(1184)紀伊勝浦での平維盛の入水
に立ち合っている。」
明治時代の文芸評論家の高山樗牛により「滝口入道」という本となった。
また平家物語第10巻「横笛」「高野巻」「維盛出家」「熊野参詣」「維盛入水」の巻で
滝口入道、横笛、平維盛のことが語られています。
滝口寺 往生院で別れた滝口入道は横笛に次の歌を贈っています。
「そるまでは恨みしかとも梓弓 まことの道に入るぞ嬉しき」横笛はそれに対して
「そるとても何か恨みむ梓弓 引きとどむべき心ならねば」と返しています。
上の写真は平重盛を祀った小松堂。
上の写真は本堂。萱葺き屋根の損傷がかなりひどくなっています。
上の写真は平家一門の供養塔(十三重の塔)
上の2枚の写真は滝口入道と横笛の歌問答旧跡の碑と横笛が指先を斬った血で
滝口入道へ歌を残した石。
「山深み 思い入りぬる柴の戸の まことの道に 我を導け」という歌を残した。
上の写真は本堂内にあった絵で横笛が滝口入道に会いにいくところを表現。
滝口寺のもう一つのハイライトである新田義貞の首塚(右手)と新田義貞の妻
勾当内侍(こうとのないし)の供養塔(左手)。
新田義貞は鎌倉幕府を倒した武将で、足利尊氏との戦いで討ち死にし、
首が晒しものになったが、妻の勾当内侍が密かに埋葬し、出家して
この地で生涯夫を弔ったといわれている。