元町商店街5丁目の西国街道の説明板 |
アップ致します。
上の写真は西国街道のモニュメントと説明書き。
上の写真は摂州神戸山手取開図で明治5年(1872)頃の神戸の地図。
江戸時代中期の福原六ケ村の地図。
西国街道と元町商店街の説明板に書かれている内容
神戸大学大学院 人文学研究科地域連携センターの協力のもとに
元町商店街の人達が参画して説明板が作成されたようです。
説明板の内容をそのまま引用させていただきます。
元町商店街が広がる地域には、江戸時代、九州と近畿地方とを結ぶ西国街道が
通っており、これはほぼ現在の「元町通り」に当たると考えられます。
その当時、この道沿いには、神戸村・二つ茶屋村・走水村という村があり、
このうち神戸村・二つ茶屋村は18世紀前半の享保期には、兵庫津より多くの
廻船を保有するなど北前船をはじめとする全国海運の拠点でもありました。
また19世紀半ば頃にできた「兵庫津細見図」には、街道沿いに密集する町並みが
描かれています。
慶応3年12月(1968年1月1日)、神戸が開港されました。
しかし、開港に際して、外国人居留地の建設が間に合わなかったため、居留地周辺の
神戸村・二つ茶屋村・走水村は雑居地となり、明治元年(1968年)11月には、
3村が合併して神戸村と名付けられました。
その後、明治7年(1874年)5月には大阪・神戸間の鉄道の開通に合わせて、
兵庫県令により、西国街道のあった大手町・濱町・札場町・松屋町・中町・城下町
東本町・西本町・八幡町が、元町通りと改称されました。
これが現在の元町商店街の名の言われとなります。
協力:神戸大学大学院 人文学研究科地域連携センター
関係のサイトへのリンク
こうべまちづくり会館
神戸・西国街道まわり道
元町商店街のHP 西国街道
西国街道は、京都から大阪、西宮から海岸に出て、芦屋の打出から大名行列が
通る本街道と庶民が利用した浜街道に分かれる。
2本の街道は生田筋で合流し、三宮神社の南の筋から元町通りへ入る。
上記の説明のように元町は神戸の元の町という意味で元町通りという名前は
明治7年(1874)から140年近くの歴史を持つ由緒ある場所であります。
説明板は元町通り5丁目の神戸市立こうべまちづくり会館の傍に設置されています。
また元町商店街の鉄骨アーケードは1953年に日本で初めて建設されたものです。
元町通という名前は明治7年(1874)当時の兵庫県令 神田孝平によって命名されました。
西国浜街道の石碑(小生のBlogで紹介)
西国街道沿いの清水五輪塔(小生のBlogで紹介)
兵庫津の西の玄関口柳原惣門跡と東の玄関口湊口惣門跡 (小生のBlogで紹介)