明石郡衙の模型と絵の展示 in 吉田郷土館 on 2011-6-23 |
紹介します。
詳細は吉田郷土館のHPにあります。
701年(大宝元)に制定された大宝律令で、日本国内は国・郡・里の三段階の行政組織
となります。播磨の国府(国衙)は姫路で、国衙のもとに12の郡があったとされます。
その一つが明石郡であり、そこに置かれた役所が明石郡衙です。
群衙についてWikipediaによる解説を引用させていただきます。
「郡衙(ぐんが)は、日本の古代律令制度の下で、郡の官人(郡司)が政務を執った役所である。
国府や駅とともに地方における官衙施設で、郡家(ぐうけ・ぐんげ・こおげ)・
郡院(ぐんいん)という。また、中国の古制に倣って郡治(ぐんち)とも呼ばれた。
701年に評が郡とされる以前は、評衙(ひょうが)と呼ばれていた。」
上の写真が発掘調査などの結果をもとに作製された明石郡衙の模型です。
奈良、平安時代に建てられていたもので掘立柱も多く、たくさんの建物があった
ようです。
上の写真は明石郡衙を描いた絵の展示写真です。
明石郡衙があった場所ははっきりとは特定されていないようですが、玉津環境センター
敷地内から発掘された吉田南遺跡にあったというのが出土品の内容から最有力
だと言われています。
グー爺さんのカメラ日記のBlogが詳しく書かれていましたので
リンクさせていただきました。