明石海峡スタンプラリー 10月8日(土)実施の垂水まちなか散策ガイド |
として、10月8日(土)実施の垂水まちなか散策ガイドのパネルPRが目に入りましたので
そのコースの順番に沿って私なりの散策を楽しみたいと思います。
10月8日(土)のコースについては、パネルに地図が表示されていますので
そちらを参照してください。
概略下記のコースを散策する予定のようです。
垂水日向遺蹟→洞泉寺→青木禅寺→遊女塚→高尾子安地蔵→五色塚古墳
→マリンピア さかなの学校→海神社
詳細な問い合わせ先は垂水観光推進協議会(事務局 垂水区役所まちづくり課)
TEL:078-706-0033 月~金 9:00~17:00 FAX:078-708-7450
垂水観光推進協議会の公式HP
順番に小生のBlogから簡単に紹介します。
(1)垂水日向遺蹟
縄文時代及び古墳時代後期、奈良時代以降のものが出土した複合遺蹟です。
縄文人の足跡などの展示がレバンテ1番館の地下1階COOPを出たところに
展示されています。
詳細は小生のBlogで Blog1
Blog2
Blog3(アカホヤ火山)
(2)洞養寺 今までに紹介していませんので概要のみ
洞養寺の基本情報
住所:神戸市垂水区天ノ下町9-26 TEL:078-707-3517
宗派:臨済宗南禅寺派
裏手の墓所の近くに市民の木にしていされているクヌギの大木があります。
垂水小学校の前身の徹道学校が明治6年3月7日に創立されています
2011年7月5日に撮影の洞泉寺
(3)青木禅寺 今までに紹介していませんので概要のみ
青木禅寺の基本情報
住所:神戸市垂水区旭丘1-8-9
宗派:臨済宗南禅寺派
敷地内に神戸市市民の木に指定のクロマツがあります。
(4)遊女塚
神戸市教育委員会作成の説明板より引用させていただきます。
石造宝篋印塔(遊女塚)
県指定重要文化財(指定 昭和四十六年)
このような形の塔を宝篋印塔といいます。日本にだけ見られる形の塔で、峠や村境などに
建てられ人々の安全を守ってくれると信じられていました。
この塔は、総高四メートルにおよぶ大きなもので、他にあまり例のないものです。塔自体が大日如来で中央部四方にある梵字は、それぞれ如来仏をあらわしています。笠石の四隅にある三角形の突起の梵字は如来を守る四天王と如来に奉仕する四菩薩を示しています。台石に掛け振られた十三行の文字には塔創立の功徳と、この塔が建武4年(1337)三月に士忠禅師によって建てられたことが書かれています。
塔はもと、山陽道に沿った丘の上に建てられていましたが、鉄道開通(明治二十一年)によって現在地にうつされました。
垂水の沖で舟から落ち溺死した遊女の供養塔であるなどの伝説により遊女塚と呼ばれている。
写真などは小生のBlogを参照ください
(5)高尾子安地蔵
現地の西垂水高尾子安地蔵会による由来に関する説明書きより要約して引用します。
西垂水の天神川(現在は暗渠)の右岸、商大筋に面した五色山1丁目に現存する
高尾子安地蔵は同境内の石碑に記載の如く、大正10年7月26日に当時の
字河西の世話人6名、即ち松下藤吉、北川熊吉、松下孝一、山下岩吉、小川常吉、
松下千代松により創建された。
大正13年2月6日に世話人の松下孝一、浜田石松、佐久間嘉吉の3名が鵯越の
高尾山地蔵院に参拝して勧請している。これが高尾の名前の由来かと推定されるが、
確かな記録はない。
これ以前の地蔵尊は何処にあったのか、古老の話では大正初期天神川の西側、
通称河西町(減海岸通)の西端近くの北側にありましたが、前記松下藤吉家の
西の隅に地蔵があり、地蔵盆に盛大なお祭りをしていた。
国道の拡幅のために地蔵尊の移転の話が具体化した。
またその時進行していた「山田、西垂水耕地整理組合」による五色山地区の
耕地整理が終了、その最南端天神川右岸の残余地ができてこれが現在の敷地に
なったとの由。
当時の河西町には小さな地蔵尊が数多く点在していた小さな地蔵尊も一緒に祀りました。
地蔵さんは仏の如来と違い人間的な偶像で仏教思想を基盤としているが、民衆の中に深く
しみ込んだ信仰となっている。地蔵さんはお寺の境内の外、路傍や人家の軒先にもあり市民
から愛され親しまれている。 平成14年1月吉日 記
詳細は小生のBlog
(6)五色塚古墳
住所:兵庫県神戸市垂水区五色山4丁目 TEL:078-707-3131(月曜 定休)
五色塚古墳は3段構築の前方後円墳で、全長194m、高さは前方部で11.5m、
後円部で18mである。
(上段の長さは約150m中段の長さは約170m下段の長さは約194m)
後円部の直径は墳頂で約30m、段部で約72m中段で約100m、下段で約125mである。
兵庫県下で最大の古墳である。全国では40番目の大きさ。
築造年代は4世紀末か5世紀初頭であろうと推定されています。
被葬者は地方の豪族と推定されています。
日本書紀の記述でも五色塚古墳に関する部分があり仲哀天皇の偽の墓で葺石(ふきいし)
は淡路島から船で運んできたと記載されています。
石室なども丁寧につくられており、偽物ではないとの見方もあります。
斜面には葺石(ふきいし)が葺かれその数は223万個 重量にして2,784トンあります。
葺石は下段のほうは地元の古墳周辺から集められた小石で上段部になると大きなものだと
直径30cmくらいにもなり淡路島から運ばれてきたと推定されています。
さらに出土した埴輪は総数2,200本と推定されています。
五色塚古墳の西側には直径60メートルの円形の「小壷(こつぼ)古墳」があります。
五色塚古墳は大正10年(1921)に小壷古墳(円墳)とともに国指定史跡に
指定されています。
昭和40年(1965)から史跡環境整備計画の一環として約10年の歳月をかけて
復旧復元工事が行われ現在に至っています。
東側のくびれ部には1辺約20m高さ1.5mの方形墳(マウント)が築かれている。(現存)
マウントの斜面には葺石が葺かれていました。葺石の上から土師器(はじき)
須恵器(すえき)、埴輪などの破片も発見されています。
さらに北東マウントからは埴輪円筒棺が2個発見されました。
マウントは現在は芝生で整備されています。
また西側にも小さな小墳丘が存在していたことが過去の調査で確認されている。
五色塚古墳の周辺には遊女塚、小塚、四ツ塚、七ツ塚などと呼ばれる小古墳が存在
していたと伝えられているが位置や基数など発掘されておらず不明である。
詳細は小生のBlog1
小生のBlog2
(7)マリンピア さかなの学校 今までにBlog紹介なし
(8)海神社
2007年10月12日8時20分頃に撮った海神社の秋の例祭の様子です。
当日は船舶の安全を願い魚業発展を祈願する海上渡御と陸上での巡業が
行わます。秋の例祭は毎年10月10日より12日にあります。
底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神の三神を祀っており、社伝では
千数百年の歴史があり、神功皇后が三韓へ出兵帰途のとき、垂水沖で軍船が暴風雨に
見舞われたが、鎮静を祀ったところ、暴風雨がおさまり、無事に都へ帰れたというのが
鎮座の由来とい言われている。通常かいじんじゃという名前で呼ばれていますが
わたつみ神社という別名で呼ばれる場合もあります。
神戸市垂水区を代表する神社である。
住所:神戸市垂水区宮本町5-1 TEL:078-707-0188及び0189
小生のBlog1
小生のBlog2
最後に垂水区役所作成のPRパネルの写真うぃ載せておきます。(下の写真)
2011-10-4撮影
明石には友人が棲んでいるので、
今度遊びに行こうと考えていました。
結構面白そうですよね。
素晴らしい記事で大変
参考になりました。
ありがとうございました。
また遊びに来ますね。
コメントありがとうございました。
明石には明石海峡あり、明石天文台(子午線)あり
旧石器時代や縄文時代の遺蹟、明石城、
万葉集、源氏物語、平家物語など文学の舞台として
また食べ物でも新鮮な魚があり大変魅力的な町です。
是非、明石で楽しいひとときを過ごしていただきたいと
思います。
今後とも宜しくお願い致します。