勝福寺の追儺式(追儺会式) on 2012-1-7 |
写真紹介します。
まず、勝福寺の紹介をさせていただきます。
勝福寺の基本情報
住所:神戸市須磨区大手町9-1-1 TEL:078-731-1253 代表者 高橋紹之氏
山号は桂尾山 高野派高野山如意輪寺末
ご本尊:聖観音菩薩
勝福寺の由緒
勝福寺は永延2年(988)、太政大臣藤原伊尹(これただ)の3男の藤原英雄丸が
勅命(一条天皇)で証楽上人と名を改め、摂津の国神撫山(高取山麓)に草庵を設け、
鹿松峠附近に出没する鬼人を平定した後開基した寺といわれています。
創建当初は36坊、七堂伽藍を有する大きな寺であったようです。
数年後の長徳2年(996)山津波によって大半を失った。
平清盛が経ケ島築造の際、この寺の宗徒達が協力したので重要文化財になっている金銅製の
密教法具の他築島供養式の際の幡などが寄進されています。
金銅密教法具は日本最大級のもので、現在は大阪市美術館に寄託されているそうです。
また、平知章(たいらのともあきら)の甲冑も所蔵されています。
南北朝時代高師直(こうのもろなお)、高師泰(こうのもろやす)の放火掠奪(りゃくだつ)に遭い
その後、再建されたが往時の壮観を取り戻すことはできなかった。
昭和13年(1938)、阪神大水害により本堂及び毘沙門堂が倒壊しました。
以来70年間、庫裏を仮本堂とし、本格的な本堂がないまま今日に至っています。
しかしこの度、本堂の再建に取り掛かる運びとなり平成18年(2006)7月吉日に着工し、
平成21年(2009)の4月4日に落成供養式が行われました。
勝福寺境内の写真紹介 By 小生のBlog
本堂の右手に追儺式(追儺会式)の式次第が書かれていましたので引用させて
いただきます。
トンド火付け 住職法楽後本堂にタイマツを受け取り火をつける
赤鬼・白鬼2匹が山門に住職先導門松を取りにいく
赤鬼太郎が青カシを白鬼次郎が赤ホソを持ちトンド火口に運ぶ
赤ホソを下に、青カシを上に x印に組み焚く
鬼おどり
1回 赤鬼が斧、白鬼が槌を
2回 子鬼4匹が火振り
3回 子鬼4匹 カッタリコ
4回 赤鬼が斧、白鬼が槌を 青鬼 鬼おどり
5回 子鬼4匹 カッタリコ
6回 赤鬼が斧、白鬼が槌を 青鬼、黒鬼、天狗
7回 子鬼4匹 カッタリコ
8回 赤鬼が斧、白鬼が槌を 青鬼、黒鬼、天狗 鬼おどり
9回 子鬼4匹が餅切り盆を持ってくる
10回 餅切り 赤鬼が斧、白鬼が槌を 他の鬼は舞台外で待つ
11回 くじ引き 赤鬼、白鬼、青鬼
上の写真は火入れ式の後、勢いよく燃えるトンド。
上の写真は僧侶により参集者に厄払いをしているところ。
トンドの周囲を囲む盛り上がった焚き穴をよく見ると盛り土のない火口が見えます
これはその年の恵方にあたる場所に火口がつけられています。
2012年の恵方は北北西。
上の3枚の写真は赤鬼と白鬼の儀式と鬼おどり
上の写真は子鬼4匹によるカッタリコ カッタリコは子鬼達がもっている杖のようなもので
カッタリコを床にうちつけ悪魔を払っている
上の写真は赤鬼、白鬼 青鬼、黒鬼、天狗の5匹の鬼おどり
上の3枚の写真は記念写真用に揃った鬼。
勝福寺の追儺式=追儺会式は証楽上人が鹿松峠附近で鬼退治をしたときの
鬼退治の踊りと伝えられている。
庫裏にて厄除けの牛玉宝印を受領しました。
また、厄除け祈祷竹に願い事を書きトンドの中に入れてきました。
平穏な1年でありますように。