難波宮の発掘の功労者大阪のシューリマン 山根徳太郎博士 |
する機会があった。
大阪歴史博物館の10階からは難波宮を一望出来、そこに大阪のシューリマンと
言われている山根徳太郎博士の銅像がその姿を見守っています。
上の写真が山根徳太郎氏の銅像です。
山根徳太郎氏についてWikipediaより引用させていただきます。
山根 徳太郎(やまね とくたろう、1889年1月12日 - 1973年7月28日)は、
日本の考古学者。文献史料に記載されていたが所在地が不明のままであった
難波宮の研究を行い、難波宮の大極殿跡を発掘した。
生涯
1889年(明治22年)、大阪市西区に生まれる。
大阪府立北野中学校(現・北野高等学校)、東京高等師範学校地理歴史部卒業。
大阪市民博物館歴史担当、中学校教師などを経て京都帝国大学文学部史学科卒業。
同大学院に在学し1928年(昭和3年)大阪商科大学(現・大阪市立大学)予科教授
に着任、第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)新制大阪市立大学法文学部
(現・文学部)教授となる。
1952年(昭和27年)の定年退官後は難波宮発掘に力を注ぎ、1961年(昭和36年)
に後期・難波宮の大極殿跡を発見。
難波宮大極殿発見時、「われ幻の大極殿を見たり。」という名言を残した。
1963年(昭和38年)『難波宮址の研究』で文学博士、1964年(昭和39年)に
紫綬褒章を受章。1973年(昭和48年)脳軟化症により死去。
シューリマン(ヨハン・ルートヴィヒ・ハインリヒ・ユリウス・シュリーマン)
ドイツ語: Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemannは
ドイツの考古学者、実業家。ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが
実在することを発掘によって証明した。
Heinrich Schliemann氏の解説 By Wikipedia
上の写真は昭和28年(1953)11月大阪市中央区の法円坂住宅の建設工事で
見つかった後期難波宮大極殿の鴟尾(しび)の一部。
上の写真は前期難波宮の模型 in 大阪歴史博物館です。
手前より朱雀門、左右に朝集殿、朝堂院、内裏 左手には内裏西方官衛
上の写真は後期難波宮の模型 in 大阪歴史博物館です。
うえの写真はパンフレットより前期難波宮と後期難波宮の解説です。
上の写真は後期難波宮の大極殿を復元したものです。
(大阪歴史博物館の10階の展示)