ひな祭り on 2012-3-3 |
五節句は次の通りです。
1月7日 人日(じんじつ)七草粥
3月3日 上巳(じょうみ)ひな祭り
5月5日 端午(たんご)子供の日、菖蒲の節句
7月7日 七夕(たなばた)星祭り
9月9日 重陽(ちょうよう)菊の節句
五節句の制度は明治6年(1873)に廃止されましたが、今でも季節の変わり目の
諸行事が行われ我々の生活の中の風習として根付いています。
ひなまつりを広辞苑で調べてみると
「3月3日の上巳(じょうし又はじょうみ)の節句に女児のある家でひな壇を設けて雛人形を飾り
調度品を具え菱餅、白酒、桃の花などを供える祭。」
古代中国では3月の最初の「巳(み)」の日に水で体を清め、宴会を催し
厄を祓うという祭りがありました。
その「上巳の節句」が日本に伝わり、日本古来からあった人形(ひとがた)に
厄を移す風習などと混ざり合い、平安時代になると、祈祷師を呼んで祈りをささげ、
人形をなでて厄を移し、供物を備えて水に流す祭に変化していきました。
平安時代の随筆や物語にも上記ような場面が登場します。室町時代には
上巳の節句の厄祓い行事は3月3日にほぼ定まってきており、人形を流していたようです。
上記の流し雛は、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」
として祀られる様になった。
現在のようなひな祭=雛祭となったのは江戸時代の中期頃と伝えられています。
ひいな遊びから発展したものである。
厄払いの幼児の人形は天児(あまがつ)とか這子(ほうこ)と呼ばれる。
天児(あまがつ)を三省堂大辞林で調べると下記のとおり。
「古代、祓(はらえ)に際して幼児のかたわらに置き、形代(かたしろ)として凶事を
移し負わせた人形。後世は練絹(ねりぎぬ)で縫い綿を入れて、幼児のはうような
形に作り、幼児の枕頭においてお守りとした這子(ほうこ)をいうようになった。」
Hinamatsuri(March3)
Dolls wearing traditional Kimono are displayed to pray for the happiness of girls.
These dolls are called Hinaningyo,and the custom is also known as momo no sekku.
In some areas,the old custom of loading one's troubles onto a paper doll and floating
them off down the river is still practised.
This is called Nagashi-bina.
下の写真は某所でのひな祭りの飾り付けです。
過去のひなまつりに関する記事(小生のBlog)
「うれしいひな祭り」の歌詞を掲載しておきます。
サトウハチロー作詞・河村光陽作曲
あかりをつけましょ ぼんぼりに
お花をあげましょ 桃の花
五人ばやしの 笛太鼓(ふえたいこ)
今日はたのしい ひな祭り
お内裏様(だいりさま)と おひな様
二人ならんで すまし顔(がお)
お嫁(よめ)にいらした 姉(ねえ)様に
よく似(に)た官女(かんじょ)の 白い顔
金のびょうぶに うつる灯(ひ)を
かすかにゆする 春の風
すこし白酒(しろざけ) めされたか
あかいお顔の 右大臣(うだいじん)
着物をきかえて 帯(おび)しめて
今日はわたしも はれ姿(すがた)
春のやよいの このよき日
なによりうれしい ひな祭り
ひなまつりを紹介した小生のBlogにリンクしておきます。
ひなまつり
ひなまつり(2010)