海向山 阿弥陀寺と魚御堂礎石 |
撮ってきましたので紹介します。
阿弥陀寺の基本情報
住所:神戸市兵庫区中之島2-3-1 TEL:078-671-6206
宗派:浄土宗西山禅林寺派 山号:海向山
福原西国三十三所霊場 客番
上の写真は本堂です。
阿弥陀寺(あみだでら)は、清盛が海路安全の守護神として建立したとも
伝えられているが、文永8年(1271)に、法然上人の孫弟子の
浄音上人(じょうおんしょうにん)が開基したとも伝えられています。
境内の住吉社は寿永年間(1282~1285)平経正圓空大居士の勧請とされ
阿弥陀寺もその当時の創建との説もある。
阿弥陀寺は、旧地名(江戸時代)の新出在家町にあり、朝鮮通信使
長老の宿舎として知られているが明治11年(1878)に消失2年後に再建
また戦災で明治時代の建物も灰になった。昭和60年(1985)に再建。
上の2枚の写真は阿弥陀寺でもっとも知られている魚御堂礎石(うおのみどうそせき)です。
阿弥陀寺境内の池の中に魚御堂の礎石と伝えられる赤い大石があります。
魚御堂は平清盛が魚を供養するために建てた寺です。
はっきりしていませんが切戸町あたり(清盛像、琵琶塚、十三重の塔、住吉神社付近)
に魚御堂があったとされています。
また、清盛の長男・平重盛りの仮屋敷跡とも言われています。
さらに、楠正成公の供養石とも伝えられる。(説明書きより引用)
建武3年(1336)5月25日湊川の戦いに勝利した足利尊氏が須佐の入江の奥にあった
魚の御堂で楠正成公の首改めをしたと言われる礎石である。
この大石を黒田長政より絵屋(鷹見家)が賜ったものを阿弥陀寺に寄贈された。
昔の争いを水に流し平和を祈願して中庭より池中に納められた。
又、この大石は明石の語源となる赤石であるとも言われている。
平成10年4月吉日 海向山 阿弥陀寺
摂津名所図会巻之八に魚御堂古跡の記述がありますので引用記載します。
薬仙寺の東北にあり。相伝ふ。大織冠の本願にして弥名寺といふ。本尊に夜夜龍宮城より
諸魚来たりて、竜燈を捧げしゆえ魚御堂といふ。
堂塔は天正の兵乱に滅びて本尊千手観音は今能福寺の境内にあり。前に見えたり。
一説には当郡(八部郡)車村善福寺の本尊地蔵尊ともいふ。
神戸市の兵庫区、中央区には楠正成に関係する地名が多数ありますので紹介します。
楠谷町・・・楠木正成が自害したという伝説が残っています。
西橘通り・・・楠木正成の先祖に橘諸兄(たちばなのもろえ)という人がおり
その名に因んで命名されました。
(中央区では橘通りや上橘通り)
西多聞通り・・・楠木正成の幼名を多聞丸ということから命名。
楠木正成の墓の周辺に「多聞兵衛(たもんひょうえ)という地名も残っています。
菊水町・・・楠木正成の紋章「菊水」に因むものです。
楠町・・・中央区の大倉山周辺の町名に採用 近くに楠寺(広厳寺)もあります。
上の写真は大坂城で使用される予定であった石。(何故ここにあるかは不明)
元和6年(1620)徳川期の大阪城再築普請に参加した加藤肥後守忠広
(熊本藩主・加藤清正の長男)の
「加藤肥後守石場これより川南ひがし」と刻印された石です。
上の写真は阿弥陀寺境内の山門と池方面を撮ったものです。
上の写真は観音堂の建物外観です。
平清盛関連の寺として最近は参拝者も多くなっているようです。
また、阿弥陀寺は福原西国観音霊場の客番にもなっています。
福原西国観音霊場のリストは下記のとおり。
1番 医王山薬仙寺 時宗
2番 金剛山宝満寺 臨済宗
3番 龍雲山海泉寺 臨済宗
4番 紫雲寺藤之寺 浄土宗
5番 海運山満福寺 曹洞宗
6番 月見山浄徳寺 真言宗
7番 上野山須磨寺 真言宗
8番 桂尾山勝福寺 真言宗
9番 毘沙門山妙法寺 真言宗
10番 神撫山禅昌寺 臨済宗
11番 観音山常福寺 真言宗
12番 白華山妙楽寺 臨済宗
13番 普門山福聚寺 臨済宗
14番 東海山長福寺 浄土宗
15番 上野山願成寺 浄土宗
16番 鷲峰山霊山寺 浄土宗
17番 潮音山東福寺 浄土宗
18番 天門山祥福寺 臨済宗
19番 花崗山福徳寺 浄土宗
20番 薬王山宝地院 浄土宗
21番 医王山廣厳寺 臨済宗
22番 延喜山八王寺 曹洞宗
23番 大光山福海寺 臨済宗
24番 巨龍山福厳寺 臨済宗
25番 梅松山満福寺 時宗
26番 真如山法界寺 浄土宗
27番 円光山極楽寺 浄土宗
28番 臥竜山恵林寺 臨済宗
29番 経島山来迎寺 浄土宗
30番 欣求山極楽寺 浄土宗
31番 浄国山金光寺 真言宗
32番 宝積山能福寺(兵庫大仏) 天台宗
33番 西月山真光寺 時宗
客番1 寿宝山長福寺 臨済宗
客番2 天照山明泉寺 臨済宗
客番打納 海向山阿弥陀寺 浄土宗 (今回紹介)
奥之院 摩耶山 天上寺 真言宗