古代の神戸 その2 縄文時代 神戸市埋蔵文化財センターの展示から |
春の企画展「古代の神戸」が開催されています。
私は2012年4月26日(木)に神戸市埋蔵文化財センターを訪問し、写真を撮らせて
いただきました。
本日は「古代の神戸」その2回目ということで縄文時代をテーマに企画展での写真を
中心に話を進めていきます。
縄文時代は今から1万2000年前から2300年前の時代を
総称しており約1万1000年続いた。
縄文時代は非常にロングレンジですのでさらに下記のように分類されます。
-草創期 1万2000年前~9,000年前
-早期 9,000年前~6,000年前
-前期 6,000年前~5,000年前
-中期 5,000年前~4,000年前
-後期 4,000年前~3,000年前
-晩期 3,000年前~2,300年前
上記の分類は小和田哲男監修「すぐわかる日本の歴史」東京美術(2000)の
Page29の分類によった。(下記の土器の特徴も参照してください)
上の写真は神戸市灘区滝の奥遺跡からの出土品で縄文時代草創期の石鏃(せきぞく)
又は尖頭器(せんとうき)で投げ槍又は弓矢の矢先に使用されます。
左手は 有茎尖頭器、右手は異形部分磨製石器です。
狩猟でイノシシやシカを追ってその肉を食べていたことが推測されます。
上の写真は神戸市兵庫区楠・荒田町遺跡から出土のアベマキ(クヌギ)の実です。
年代は縄文時代晩期です。
縄文人の主食は、貝類、ドングリ、クリ、イノシシの肉が主な食事の内容だったようです。
縄文人の生活ぶりの詳細については小生のBlog(神戸市埋蔵文化財センターの展示紹介)
今回の展示ではありませんが、神戸市垂水区の日向遺跡からは縄文時代中期以前の
縄文人の足跡が見つかっています。
詳細は垂水日向遺跡 (小生のBlog)
その他神戸市垂水区における縄文時代の遺跡としては舞子浜と西名村から遺物が
発掘されています。
西名村に関する記事は小生のBlog(西名若宮神社)を参照。
上の写真は木の実に関するパネル説明です。
貯蔵技術もあったのは生活の知恵でしょうかね。
上の写真は神戸市西区西神No.7遺跡、兵庫区祇園遺跡、楠・荒田町遺跡、中央区雲井遺跡
灘区都賀遺跡、北区上子名田遺跡から出土のサヌカイト・チャートの石鏃(せきぞく)。
時代は縄文時代中期から後期。
上の写真は神戸市東灘区本庄遺跡、灘区篠原遺跡、中央区生田遺跡から出土の
硬玉製小玉(こうぎょくせいこだま)で時代は縄文時代後期(4,000年前)である。
神戸市内で見つかったアクセサリーの遺物で最古のものは神戸市灘区申新田(さるしんでん)
から見つかった縄文時代前期(6,000年前)の石の耳飾があります。
上の2枚の写真は神戸市中央区生田遺跡から出土の土偶である。
時代は縄文時代後期である。
土偶の解説 By Wikipedia
土偶(どぐう)は、人間を模して、あるいは精霊を表現して作られたと考えられる土製品で、
日本では、縄文時代に沖縄県を除く地域で製作された。
土偶の詳細説明(Wikipedia)
神戸市内の遺跡から出土の縄文土器の写真を添付します。
上の写真のように一つのショーケースにまとめられて展示されていました。
縄文土器の出現で煮炊きにより食べ物を柔らかくすることや消毒作用で幼い子供や
お年寄りでも食べやすくなったことドングリのアクを除去することでドングリも食料
となったことも人工増の要因となりました。
上の写真は灘区の都賀遺跡から出土の縄文早期の尖底土器です。この形にしたのは
火のまわりを良くする工夫だといわれています。
文様のついた道具を土器の表面で転がすことで文様をつけています。(押型文土器)
上の写真は中央区雲井遺跡から出土した縄文時代早期の土器の破片です。
上の写真は北区の原野・沢遺跡から出土の縁帯文土器(深鉢)です。
時代は縄文後期。土器の口縁部に文様が集中していることが特長。
深鉢の胴部には縄文のある部分とない部分が線によって区分されています。
これは磨消縄文と呼ばれ縄文時代後期に多用される技法です。
上の写真は垂水区日向遺跡から出土の縄文時代後期の深蜂です。
上の写真は灘区篠原遺跡から出土の縄文時代後期の浅鉢です。
縄文時代の人口と気候と食料について以前にまとめたものを追記しておきます。
詳細は小生のBlog
第1期 狩猟、木の実など採取、漁業による食料確保の時代
1万年前は現在より2℃低かったが
縄文早期 9000年前 2万人 この頃には現在より平均気温高い
縄文前期 6000年前 11万人
縄文中期 5000年前 26万人
縄文後期 4000年前 16万人 4500年前より寒冷化
縄文晩期 3000年前 7.6万人
縄文期は西日本の人口は少なく、東日本に人口が集中
東日本は、ブナを中心とする冷温帯落葉樹林は後退し、代わって
コナラ、クリを中心とする暖温帯落葉樹林が広がり、西日本は
カシ、シイの常緑照葉樹林となった。
木の実の生産性は照葉樹林より落葉樹林、特に暖温帯落葉樹林が
圧倒的に高いため、こうした温暖化により東日本を中心に
日本の人口は急増したといわれる。