水島 銕也先生終焉之地の石碑 |
の石碑を写真紹介します。撮影:2012-6-20
上の写真が水島 銕也先生終焉之地の石碑です。
設置場所は神戸市立文書館の斜め前のコンビニローソンが目印です。
水島 銕也先生についてWikipediaの解説より引用させていただきます。
水島 銕也(みずしま てつや、1864年 - 1928年)は、神戸高等商業学校(神戸大学の前身)
の創立者、初代校長。雅号「愛庵」。
豊前国中津藩出身。姫路中(現兵庫県立姫路西高等学校)卒、神戸商業講習所
(現兵庫県立神戸商業高等学校)卒、高等商業学校(後の東京高等商業学校、現一橋大学)卒。
東京高商初代専攻部主事。府立大阪商業学校(現大阪市立大学)の校長心得も務めた。
横浜正金銀行勤務等を経て、1902年(明治35年)、東京高等商業学校に続く2番目の
官立高等商業学校として、神戸高等商業学校が開学設立された。
初代校長に就任した水島銕也は、実務を重視する観点から商業学校からの入学を
認めるなど独自の入試制度や教育課程を整備し、東京高等商業学校との違いを際立たせた。
神戸高商の後身たる神戸大学は、この高商設立をもって開学の起点としている。
現在、生誕地跡である大分県中津市金谷本町(かなやほんまち)に「水島公園」とし記念碑が
建てられている。
また、水島を記念して神戸高商内に設置された銅像は、その後校地移転にともない現在の
神戸大学六甲台校地に移築され現在に至っている。
神戸高等商業学校が設立された当時は現在の葺合高校の敷地周辺にあったそうです。
下の写真は神戸市葺合町筒井村にあった当時の神戸高等商業学校(神戸高商)の
校舎です田畑に囲まれた高台にあり当時の学生は親しみを込めて筒台と呼んだ
そうです。出典:神戸大学100年史 写真集 Page14より
写真は1910年頃(明治43)だそうです。
初代校長として1903年(明治36)から1925年(大正14)まで22年間在職した。
徹底した実践主義を貫いた教育であったそうです。
名言として「黄金の奴隷になるな。士魂商才をもって事業を営め」と説かれたそうです。
下の写真は水島 銕也先生です。出典:神戸大学100年史 写真集 Page16
神戸大学の開校記念日は明治36年(1903)5月15日に授業が開始されたことから
5月15日と定められています。尚、開校式は10月25日だそうです。
水島 銕也先生終焉之地の石碑のすぐ近くに第3回神戸景観・ポイント賞に輝いた
ブルックス神戸前の楠の大樹を写真紹介します(下の写真)
撮影:2012-6-20
受賞理由は建物のエントランスに当たる部分に樹齢40年を超える既存のクスノキを保存し,
風格あるみどりによって道路軸に対する装いに貢献している。
神戸景観・ポイント賞は昭和61年(1986)に創設され、平成21年度で22回目を迎え、
これまで169件(神戸景観・ポイント賞115件、特別賞54件)が受賞されています。
尚、神戸景観・ポイント賞のリストは下記アドレスに記載されています。(神戸市のHP)
http://www.city.kobe.lg.jp/culture/culture/enterprise/point/index.html
同じく、石碑の近隣にはガンジーの胸像と神戸文書館があります。
小生のBlogで紹介していますのでリンクを貼っておきます。
ガンジーの胸像と神戸文書館