平成24年 広島平和記念式典 on 2012-8-6 |
(広島平和記念式典)は今年67回目を迎えます。
2012年8月6日(月)の8時からのNHK TVより式典の様子を写真紹介します。
上の写真は今回新たに追加された5,729人の名簿の奉納。 累計28万952人に
なるそうです。原爆が投下されて1年以内に亡くなった方々は約14万人。
平和式典が行われた広島平和公園、原爆ドームなどの遠景です。
今年は福島浪江町の馬場有(たもち)町長も初めて出席された。
上の写真は71カ国から出席の方々。2010年に出席した米国のルース駐日大使が
再び出席したこと、核保有国の英国、フランスの駐日大使が初めて出席したこと、
広島と長崎への原爆投下を命令したトルーマン米大統領の孫の
クリフトン・トルーマン・ダニエル氏が初めて出席したことが特記されます。
USA大使が長崎の平和式典に初の出席
また、米国のルース駐日大使が長崎の原爆投下後、初めての長崎の平和式典に
出席されるそうです。
大勢の一般市民を巻き込んだ原爆の投下。
今後、どこの国においてもあってはならない事象である。
上の写真はイギリスのウォーレン駐日大使。
上の写真はフランスのマセ駐日大使。
原子力発電大国フランスでは原発の発電を25%削減するとした政策を掲げた
オランド大統領が選挙で勝利した。
上の写真は黒い雨の区域。広島市が求める区域の範囲と現在認定されている国の
区域が異なっています。広島市は区域拡大を国に求めています。
被爆者健康手帳の所持者は今年3月末の段階で21万830人おり、平均年齢は
78.1歳に達するそうです。
上の写真は松井一実市長による平和宣言です。全文は下記。
2012年平和宣言
1945年8月6日8時15分、私たちの故郷は、一発の原子爆弾により灰じんに帰しました。
帰る家や慣れ親しんだ暮らし、大切に守ってきた文化までもが失われてしまいました。
――「広島が無くなっていた。何もかも無くなっていた。道も無い。辺り一面焼け野原。
悲しいことに一目で遠くまで見える。市電の線路であろう道に焼け落ちた電線を目安に
歩いた。市電の道は熱かった。人々の死があちこちにあった。」
――それは、当時20歳の女性が見た街であり、被爆者の誰もが目の当たりにした広島の
姿です。川辺からは、賑やかな祭り、ボート遊び、魚釣りや貝掘り、手長えびを捕る
子どもたちの姿も消えてしまいました。
そして原爆は、かけがえのない人の命を簡単に破壊してしまいました。
――「警防団の人と一緒にトラックで遺体の収容作業に出る。少年の私は、足首を持つ
ように言われ、つかむが、ズルッと皮がむけて握れない。覚悟を決めて指先に力を入れると、
滴が垂れた。臭い。骨が握れた。いちにのさんでトラックに積んだ。」
――この当時13歳の少年の体験のように、辺り一面は、無数の屍が重なり、声にならない
呻き声の中、息のない母親のお乳を吸い続ける幼児、死んだ赤子を抱き締め虚ろな顔の
母親など、正に生き地獄だったのです。
当時16歳の少女は、大切な家族を次々と亡くしました。
――「7歳だった弟は、被爆直後に全身火傷で亡くなり、ひと月後には、父と母、そして
13歳の弟と11歳の妹が亡くなりました。唯一生き残った当時3歳の弟も、その後、
癌で亡くなりました。」
――広島では、幼子からお年寄りまで、その年の暮れまでに14万人もの尊い命が
失われました。
深い闇に突き落とされたヒロシマ。被爆者は、そのヒロシマで原爆を身を以て体験し、
後障害や偏見に苦しみながらも生き抜いてきました。そして、自らの体験を語り、
怒りや憎しみを乗り越え、核兵器の非人道性を訴え、核兵器廃絶に尽力してきました。
私たちは、その辛さ、悲しさ、苦しみと共に、その切なる願いを世界に伝えたいのです。
広島市はこの夏、平均年齢が78歳を超えた被爆者の体験と願いを受け継ぎ、
語り伝えたいという人々の思いに応え、伝承者養成事業を開始しました。
被爆の実相を風化させず、国内外のより多くの人々と核兵器廃絶に向けた思いを
共有していくためです。
世界中の皆さん、とりわけ核兵器を保有する国の為政者の皆さん、被爆地で平和
について考えるため、是非とも広島を訪れてください。
平和市長会議は今年、設立30周年を迎えました。2020年までの核兵器廃絶を
目指す加盟都市は5,300を超え、約10億人の市民を擁する会議へと成長しています。
その平和市長会議の総会を来年8月に広島で開催します。核兵器禁止条約の締結、
さらには核兵器廃絶の実現を願う圧倒的多数の市民の声が発信されることになります。
そして、再来年の春には、我が国を始め10の非核兵器国による
「軍縮・不拡散イニシアティブ」の外相会合も開催されます。核兵器廃絶の
願いや決意は、必ずや、広島を起点として全世界に広がり、世界恒久平和に結実
するものと信じています。
2011年3月11日は、自然災害に原子力発電所の事故が重なる未曾有の大惨事が
発生した、人類にとって忘れ難い日となりました。今も苦しい生活を強いられながらも、
前向きに生きようとする被災者の皆さんの姿は、67年前のあの日を経験した
ヒロシマの人々と重なります。皆さん、必ず訪れる明日への希望を信じてください。
私たちの心は、皆さんと共にあります。
あの忌まわしい事故を教訓とし、我が国のエネルギー政策について、
「核と人類は共存できない」という訴えのほか様々な声を反映した国民的議論が
進められています。日本政府は、市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を
一刻も早く確立してください。また、唯一の被爆国としてヒロシマ・ナガサキと思いを
共有し、さらに、私たちの住む北東アジアに不安定な情勢が見られることをしっかり
認識した上で、核兵器廃絶に向けリーダーシップを一層発揮してください。
そして、原爆により今なお苦しんでいる国内外の被爆者への温かい支援策を充実
させるとともに、「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断をしてください。
私たちは、今改めて、原爆犠牲者の御霊に心から哀悼の誠を捧げるとともに、
この広島を拠点にして、被爆者の体験と願いを世界に伝え、核兵器廃絶と
世界恒久平和の実現に全力を尽くすことを、ここに誓います。
平成24年(2012年)8月6日
広島市長 松 井 一 實
過去の平和宣言の内容
上の写真は野田首相の挨拶。
小生が作成した関連Blog
原爆死没者慰霊式 平和祈念式(平和記念式典)in 広島 on 2011-8-6
2010年の平和式典に関する小生のBlogです。
2007年の平和宣言
広島原爆投下に関する小生のBlog
終戦記念日に関する小生のBlog
過去の平和宣言の一部と広島訪問記へのリンク(小生のHP)
ABC Newsより今回の平和式典に関する記事抜粋
Japan marked the 67th anniversary of the world's first atomic bomb
attack with a ceremony Monday that was attended by a grandson
of Harry Truman, the U.S. president who ordered the bomb
dropped on Hiroshima.
About 50,000 people gathered in Hiroshima's peace park near
the epicenter of the 1945 blast that destroyed most of the city
and killed as many as 140,000 people.
A second atomic bombing Aug. 9 that year in Nagasaki killed
tens of thousands more and prompted Japan to surrender
to the World War II Allies.
平和宣言の説明 By Wikipedia
1947年に「広島平和祭」として第一回が催され、当時の広島市長である浜井信三が
平和宣言を行った。このときはGHQによる占領統治時代であったため、
検閲で平和への思いが消されないためにどうするか苦労したという[要出典]。
この平和祭では式典のほか市内各所で盆踊りや仮装行列なども催され、
アメリカの雑誌『ライフ』が「アメリカ南部の未開地におけるカーニバル」と形容したほど
市民に希望を与えるものであった。[2]
1950年6月から始まった朝鮮戦争において、米国は核兵器の使用を検討していた。
原爆使用禁止のストックホルムアピールへの世界的署名運動が高揚するなか、
GHQによってこの年の平和式典は禁止・中止された。原爆詩人・峠三吉らはこれを
弾劾して原爆詩集などを発表した。これらの運動は朝鮮戦争でのアメリカ軍の
核使用を押し留める一因となったといわれている。
平和記念公園が開設された1954年以降は現在の形式で行われている。
1971年には佐藤栄作が日本の首相として初めて式典に出席した[3]。
なお被爆から65年以上が経過し、被爆体験を持つ人たちの平均年齢が76歳を
超えたことで、被爆経験が戦争経験と同様に風化してきていると指摘されている。
この式典の性格は原爆を投下したアメリカに対する反米感情よりも、むしろ恩讐を
超えた世界の恒久平和への希求であるとしている。冷戦時代には人類を滅亡へと
導く手段として、現在では核拡散によって過激な集団によって大量殺戮しかねない
方法として、破壊のための核兵器使用の危険性がある以上、核兵器の存在を
認めず廃絶を求めることは世界最初の被爆地として責務であると、
歴代の広島市長は平和宣言の中で訴えている[4]。