御嶽山 清水寺(播州清水寺) on 2012-9-26 |
写真を紹介します。(撮影:2012-9-26)
西国三十三箇所の第16番札所である京都市の音羽山清水寺と区別するため
播州清水寺とも呼ばれる。
御嶽山 清水寺(播州清水寺)の基本情報
住所:兵庫県加東市平木1194 TEL:0795-45-0025
宗派:天台宗 入山料:1人500円 山号:御嶽山 本尊:十一面観世音菩薩
西国三十三箇所第25番札所
御詠歌:あわれみや普き(あまねき)門(かど)の品々(しなじな)に
なにをかなみのここに清水(きよみず)
永延2年(988)花山法皇の作
Wikipediaによる清水寺の創建伝授
「法道仙人」に関する記述:田中日佐夫『仏像のある風景』
(駸々堂出版、1989年)の、87頁 - 97頁に拠っている。
寺伝では1,800年前(古墳時代)、天竺(古代インド)僧の法道が創建したとされ、
627年(推古天皇35年) に推古天皇直々に根本中堂を建立。
さらに725年(神亀2年) 聖武天皇が行基に命じて講堂を建立したと伝える。
朝鮮半島から日本へ仏教が伝来したのは6世紀のことであり、
「1,800年前に法道が創建」との伝承は後世の付託である。法道は天竺から
紫の雲に乗って日本へ渡来したとされる伝説上の人物である。
法道開基を伝える寺院は兵庫県南部に集中していることから、
「天竺から紫の雲に乗って」云々はともかくとして、その由来につながる
仏教者がこの地に存在したことは想定される。
前置きが長くなりましたが、これから写真を紹介します。
上の3枚の写真は仁王門と阿吽の金剛力士像です。
以前は旧参道の頂上にあったようですが、昭和40年(1965)の台風で全壊。
昭和55年(1980)末、場所を変えて現在の場所に新築再建されました。
神戸大学多淵敏樹教授の設計。金剛力士像は大正10年(1921)奈良の仏師
菅原大三郎氏の遺作。昭和53年大三郎氏の子息、東京芸大名誉教授の
菅原安男先生が修復。丹塗りは平成3年末に完成。(以上 現地説明板より)
上の写真は仁王門から清水屋(売店)を少し過ぎた参道でやさしく迎えて
くれたスイフヨウ(酔芙蓉)。
上の写真は薬師堂。昭和59年(1984)11月3日に再建されました。
創建は平安時代末期。平清盛の育ての父、平忠盛の妻の池之禅尼が創建に
関わったそうです。
*池之禅尼 長治元年(1104)生れ、本名宗子、父は白河法皇 の近臣藤原宗兼、
池之禅尼の呼称は六波羅の池殿に住み夫 忠盛の死去によって出家したため。
(現地の説明板より)
薬師堂の中には東京芸大教授 薮内佐斗司氏作の十二神将が安置されています。
上の2枚の写真は大講堂。
西国三十三箇所めぐり第25番の札堂で、第45代聖武天皇の代に行基(668-749)
上人が清水寺を参詣し、日本最初の観音霊場であることを奏聞しました。
神亀2年(725)に聖武天皇が勅願し九寸八分の十一面千手観世音菩薩の坐像を
胎内仏として御鞘仏内に納めました。さらに脇侍に地蔵菩薩と毘沙門天を配し
大講堂が建立されました。
大講堂は大正2年(1913)に消失し大正6年(1917)に再建されました。
設計は京都大学の武田五一博士で清水寺周辺産の杉材が使用されました。
大工棟梁は名古屋 伊藤平左衛門。
大講堂の消失は大正2年以前に建武2年(1335)、永享10年(1438)、
文明14年(1482)の3回を数える。
上の写真は地蔵堂。
昭和57年(1982)11月3日落慶。
神戸大学元副学長多淵敏樹教授の設計。アメリカ産ヒバ材を使用。
御本尊の地蔵菩薩は昭和12年(1937)東京芸大菅原安男名誉教授の作。
この地にあった常行堂は後白河法皇の創建と伝えられています。
上の写真は鐘楼。 大正2年に消失。大正9年(1920)再建。
同時に梵鐘も鋳造されました。意匠は京都大学武田五一博士。
銘は吉田天台座主。
上の写真は根本中堂。
推古天皇勅願。推古36年(627)の創建。大正2年に消失。
大正6年に再建。
上の写真は宝篋印塔。
昭和9年(1934)4月神戸巡礼会の発願で護摩堂跡に般若心経を3,333巻
納め建立された。
上の写真は多宝塔(大塔)跡。
平清盛の武運長久を願って保元2年(1157)祇園女御が建立されたと伝わっています。
清水屋(売店)で山菜そば定食をいただきました。
椎茸茶とコーヒーも頂きました。
上の写真は清水屋の外観。
開基とされる法道仙人は勿論実在の人物ではありませんが、法道仙人が開基した
旧播磨国の寺院は大手前大学の中井淳史氏の調査では86ケ寺にのぼります。
旧加東郡の法道説話に共通して言えることが2つあります。
その1つは水です。清水寺の滾浄(こんじょう)水、田中薬師堂の薬効水
朝光寺の鹹水(かんすい)、光明寺の閼伽井(あかい)。霊水が湧き出て
人を救済するものです。もう1つは法道仙人が寺を建立しようとした場所が
その地域の霊地であったことです。
土地の地主神があったところに立地しているのは大変興味のあることです。
参考文献:御嶽山清水寺 堀内和男著 発行者は清水谷善英住職 (1997)