楠公武者行列 on 2013-5-26 (その1) |
楠公さんと親しまれている楠木正成が、元弘3年(1333)6月、
幽閉されていた隠岐から京に戻る途中、後醍醐天皇を神戸で迎え、都まで先導した行列
を再現したものである。
当日(2013-5-26)のイベントの内容は下記のとおり。
午前9時半 発輿祭 (湊川神社本殿及び本殿前庭)
午前10時 楠公武者行列(御神幸)湊川神社出発→メルカロード宇治川→11:10 湊川公園到着
午前11時半 御旅所祭 (湊川公園 斎場)
午後 1時 楠公武者行列(御神幸) 湊川公園出発→新開地商店街→14:00 ハーバーランド
→乙仲通→15:00 元町商店街→16:00 湊川神社着
午後4時半 還御祭 (湊川神社本殿及び本殿前庭)
楠公武者行列は下記の3つのパートから成っています。
(1)前陣武者列(ぜんじんむしゃれつ)
(2)神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)
(3)神幸列甘南備神社(じんこうれつかんなびじんじゃ)
今回のBlog(楠公武者行列その1)では前陣武者列40役の写真を紹介します。
全体では89役、約800人、30頭の馬が行進する豪奢な祭である。
前陣武者列40役の前には港翔楠中学校吹奏楽部を先頭にゆるキャラの「きよもん」
猿田彦が先導して清めの塩を撒く人達、2人乗りの人力車2台が行進します。
左の写真はNo.1鉄杖(てつじょう)
右の写真はNo.2 侍(さむらい)とNo.3高張提灯(たかはりちょうちん)
少し小さくて判りづらいですがNo.4の太鼓(たいこ)
左の写真はNo.5 大麻(おおぬさ)
右の写真はNo.6 社号旗(しゃごうき)
左の写真はNo.7 大榊(おおさかき)
ここまでが一のブロック
右の写真はNo.8 前駆兵(ぜんくへい)
上の写真はNo.9 列奉行(れつぶぎょう)騎馬
左の写真はNo.10 大楯(おおたて) 右の写真はNo.11 陣貝(じんがい)
左の写真はNo.12 陣太鼓(じんだいこ)
ここまでが二のブロック
右の写真は No.13 先駆(せんく)
上の写真はNo.14 錦旗(にしきばた)
上の写真はNo.15 武者 菊池武吉(きくちたけよし)代
上の写真はNo.16 武者 江田高次(えだたかつぐ)代
上の写真はNo.17 武者 伊藤義和(いとうよしかず)代
ここまでが三のブロック
上の写真はNo.18 武者 箕浦朝房(みのうらあさふさ)代
上の写真はNo.19 武者 岡田友治(おかだともはる)代
上の写真はNo.20 武者 矢尾政春(やおまさはる)代
上の写真はNo.21 武者 和田正隆(わだまさたか)代
上の写真はNo.22 武者 神宮司正師(じんぐうじまさもろ)
衆議院議員 盛山正仁 様
ここまでが四のブロック
上の写真はNo.23 少将 楠木正行(くすのきまさつら)公代
スマイル神戸 高宮佳澄 様
上の写真はNo.24 将前兵(しょうぜんへい)
上の写真はNo.25 菊水旗(きくすいばた)(騎馬)
スポーツ解説者、元阪神タイガース 濱中治 様
上の写真はNo.26 大将 楠木正成(くすのきまさしげ)公代
兵庫県知事 井戸敏三 様
上の写真はNo.27 副将 楠木正季(くすのきまさすえ)卿代
俳優 あおい輝彦 様
ここまでが五のブロック
上の写真は No.28 武者 橋本正員(はしもとまさかず)代
上の写真はNo.29 武者 冨田正武(とみたまさたけ)代
上の写真はNo.30 武者 恵美正遠(えみまさとお)代
上の写真はNo.31 武者 河原正次(かわはらまさつぐ)代
ここまでが六のブロック
上の写真はNo.32 武者 宇佐美正安(うさみまさやす)代
上の写真はNo.33 武者 三石行隆(みついしゆきたか)代
上の写真はNo.34 武者 安西正光(あんざいまさみつ)代
上の写真は前方がNo.34 武者 安西正光(あんざいまさみつ)代
後方がNo.35 武者 南江正忠(みなみえまさただ)代
ここまでが七のブロック
上の写真はNo.36 女房(にょうぼう)騎馬 落語家 桂あやめ 様
上の写真はNo.36 女房(にょうぼう)騎馬 3騎
ひだりの写真はNo.37 兵士(へいし)
右の写真はNo.38 矢櫃(やびつ)
左の写真はNo.39 飼葉桶(かいばおけ) 右の写真はNo.40 押侍(おしさむらい)
ここまでが八のブロック
その後神幸列本社(じんこうれつほんしゃ)の行列が続きますがここで一旦区切り
後の行列はその2で書きたいと思います。
神戸新聞は楠公武者行列の様子を号外で伝えています。