灘目(なだめ)が何故このように呼ばれるようになったのか |
灘目とは灘地方の旧名称であり、下灘(八部郡)、上灘(菟原郡)辺りを灘目と
呼んでいた。下灘は現在の神戸市 中央区、兵庫区の辺り、上灘は現在の神戸市
灘区、東灘区、および芦屋市にあたる。
灘とは「海」の意味があるが、灘の辺りという意味の「なだべ」が変化して
「なだめ」と呼ばれる様になったとされている。
古い時代の灘の区域は現在の灘五郷の区域と異なり、時代により多少の変遷が
あった。灘目に今津を加えて二灘三郷、灘目三郷と呼ばれた時代を経て、1828年
には下灘、上灘西組、上灘中組、上灘東組、今津を灘五郷と呼ぶ様になった。
1886年に摂津灘酒造組合が設立された際に、下灘が外れ西宮郷が加わり現在の
灘五郷が確立した。
また、世界大百科の灘五郷の項には
「灘目とは灘辺という意味で、東は武庫川口より西は旧生田川の近傍にいたる
沿海およそ24kmばかりの地域の総称である。」
とあります。
灘目が入る言葉としては灘目水車という言葉があります。
関連写真を添付しておきます。
上の写真はJR住吉駅南側にある水車広場の水車モニュメント
撮影:2016-7-3