赤穂旅行(3)---息継ぎの井戸、赤穂港と海岸 |
赤穂藩主 浅野内匠頭の江戸場内での刃傷の知らせを早水藤左衛門と萱野三平の2名が
江戸を出発したのは元禄14年(1701)3月14日午後5時前、4昼夜608Kmの道のりを
早かごを飛ばして赤穂城下に着いたのは3月19日午前6時ごろであった。
この井戸でようやく一息つき赤穂城内の大石邸の長屋門をたたいた。
その後この井戸は「息継ぎ井戸」と呼ばれるようになった。
赤穂は日本で最初に上水道が開通したと言われ、神田上水、福山上水とともに日本の
3大上水の1つである。
下の写真は御崎の宿祥吉より撮った赤穂港と海岸線である。