須磨寺本堂と熊谷直実&平敦盛の像 |
上の写真(2008-2-6撮影)は須磨寺の本堂である。須磨寺は真言宗須磨寺派の大本山で
正式の名前は上野山福祥寺である。
毎月20日、21日の「お大師さん」は参道に屋台も出て賑わう。
淳和天皇の頃(823-833)和田岬の沖で漁師が聖観音像を引き揚げ会下山の北峯寺に安置
していたのを聞鏡上人が仁和2年(886)須磨の地に移したのが始まりと伝えられています。
もとは7堂12坊あったが、現在は3院だけ残すのみである。
上の写真(2008-4-11撮影)は須磨駅から国道2号線までの歩道の汚水枡に描かれた
熊谷直実&平敦盛の像です。
下の写真(2008-2-6撮影)は須磨寺の宝物館の前庭にある熊谷直実&平敦盛の像である。
元暦元年(1184)一の谷の合戦で熊谷直実は16-17歳の海の中で逃走する平敦盛と
勝負しこれを組み伏せましたが、敦盛の顔をみれば容顔で殺すに忍びなかった。しかし時すでに遅く、背後には源氏の武士たちが迫っており、直実が助けたとしても敦盛の命はない。直実は涙をふるって敦盛の首を掻き切った。
「あはれ、弓矢取る身ほど、口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずば、何とてかかる憂き目をば見るべき、情けなうも討ちたてまつるものかな」(「平家物語」)
戦争の中で人としての情と、殺さなければならない運命と考えさせられる問題である。
下の写真はJR鷹取駅近くの浜側線路沿いの壁に描かれた合戦の絵(1991年10月作)
製作者:石川由美、柴山由貴、田中美穂、中村里未の皆様です。