善楽寺と明石入道の碑及び平清盛供養五輪塔 |
境内には平清盛の供養五輪塔と明石入道の供養の宝篋印塔があります。
善楽寺は下の石碑のように戒光院(かいこういん)と宮本武蔵の作といわれる庭がある
円珠院の2院からなっている。
善楽寺戒光院は明石入道(あかしのにゅうどう)の「浜の館」があったとされる場所で、
明石入道の供養の宝篋印塔や明石入道のお墓?があります。創建は7世紀半ば。
宝篋印塔には「 いにしへの名のみ残りて有明の あかしの上のおや住みしあと」という
明石藩主・松平忠国の歌が刻まれています。
明石入道=明石の上の父の住まい(浜の館)について、源氏物語の原文には
「月ごろの御住まひよりは、こよなく明らかに、なつかしき御しつらひなどえならずして、
住みひけるさまなど、げに都のやむごとなき所どころに異ならず、艶にまばゆきさまは、
まさりざまにぞ見ゆる。」
都の高貴な邸と変わるところなく風情があり立派なものであったと推定される。
善楽寺は平清盛ゆかりの地で福原京(1180年6月)のころ安芸の巌島にお参りに
行く時ここで休んだといわれています。 平清盛は養和元年(1182)に亡くなりますが
その当時、清盛の弟教盛の子忠快法印が寺僧をしており、彼により清盛の供養のための
巨大な五輪塔を建てたと伝えられています。
上の写真は平清盛供養の五輪塔(アップ)と下の写真は五輪等付近全体を撮った。