須磨寺の山本周五郎の文学碑 |
作家山本周五郎(本名:清水三十六(さとむ))の文壇へのデビュー作「須磨寺附近」の
題材となった須磨寺は正式には天門山 祥福寺と呼ばれています。
下の写真は山本周五郎の出世さくとなった須磨寺附近の文学碑である。この石碑は
昭和58年(1983)12月22日に当時須磨寺坊頭正覚院の副住職であった三浦真厳さん
注力で建てられました。除幕式は昭和59年(1984)4月7日。
真ん中の石碑には「須磨は秋であった---- ここが須磨寺だと康子が言った。池の水に
白鳥が群を作っていた。雨がその上に静かにそそいでいた。------
池を廻って、高い石段を登ると寺があった「あなた生きている目的が分かりますか」
「目的ですか」「生活の目的ではなく、生きている目的よ」
雨の降る秋の夕方康子は清三を寺に連れ出し山門の前で問いかけた一節である。
山本周五郎は大正12年(1923)9月1日の関東大震災で被災したため、約5ヶ月
現在の住所で言えば須磨区離宮前道に下宿しています。
この石碑の裏面には「貧困と病気と絶望に 沈んでゐる人たちのために幸ひと安息の
恵まれるように」と山本周五郎が読者にあてた遺書でもあります。
右の石碑には文学碑の説明と石碑の製作者 清水史郎氏、文章を書いた足立巻一氏
書の三浦真厳氏の名前が記載されています。
文学碑は龍華橋を渡った山門の手前左側にあります。