終戦記念日(敗戦記念日) |
「福田康夫首相は靖国神社を参拝しない方針だ。小泉政権時代の首相参拝で冷却化した中国との関係は改善に向かっているが、A級戦犯分祀や新たな国立戦没者追悼施設など靖国をめぐる論議は先送りのままで、戦没者追悼の根源的な問いは続く。福田内閣のうち保岡興治法相、太田誠一農相、野田聖子消費者行政担当相が15日に参拝の意向。町村信孝官房長官ら12人は不参拝を表明。」
先の太平洋戦争は昭和6年(1931)9月18日の満州事変に始まり、昭和12年(1937)
7月7日の盧溝橋事件から始る日中戦争さらに昭和16年(1941)12月8日の真珠湾奇襲に
始る太平洋戦争へと進んだ。
これら3つの戦争を総称して15年戦争と呼ばれています。
これら15年戦争が終わったのが終戦記念日であり、日本の軍人、民間人を合わせた
犠牲者は約310万人である。
一方、日本の侵略によるアジアでの犠牲者は約2,000万人にのぼると推定されている。
(本多公栄著 ぼくらの太平洋戦争より)
その内訳は中国1,000万人、インド350万人(大部分はベンガルの餓死者)、ベトナム
200万人以上、インドネシア200万人、フイリピン105万人、朝鮮20万人、ビルマ5万人
シンガポール0.5万人、ニュージーランド1.2万人、オーストラリア不明。
現在の国の姿勢としては過去の歴史に対し深く反省し、アジア諸国に対し謝罪し、
今後2度と戦争の悲劇を繰り返さないとしている。また、アジア諸国と連携してアジアの
発展に貢献することも重要である。
日本の戦犯が裁かれた東京裁判に関して、小生が以前に書いたBlogの文を見てください。
「表題についてニュースを見ても靖国神社に合祀されている14人の戦犯者についてほとんど
知らない状況なので今回整理してみました。
太平洋戦争で中国は1000万人を超える死者が出ており日本でも約310万人の尊い命が
失われています。平和な世界が継続することを望むものです。
A級戦犯:ナチスドイツ(ニュールンベルグ裁判)、太平洋戦争の日本(東京裁判)を連合国が
裁くため国際軍事裁判条例を定めた(昭和20年(1945))の第6条A項に平和に対する罪と
規定された。
英文ではあるが、東京裁判でのA級戦犯についての簡単な記事が紹介されていますので
下記のサイトを参照していただきたい。
参照URL
東京裁判(極東国際軍事裁判)は昭和21年(1946)5月3日に開廷され昭和23年(1948)
11月12日に終了するまで審尋されている。
東京裁判ではA級裁判で起訴されたのは下記の28名である。
荒木貞夫、板垣征四郎、梅津美治郎、大川周明、
大島浩、岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、木村兵太郎、
小磯国昭、佐藤賢了、重光葵、嶋田繁太郎、白鳥敏夫、
鈴木貞一、東郷茂徳、東条英機、土肥原賢二、
永野修身(病死)、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎、
広田弘毅、星野直樹、松井石根、松岡洋右(病死)、
南次郎、武藤章
大川周明は精神異常が認められ訴追免除となり、
永野修身と松岡洋右は判決前に病死しているため、
結局A級戦犯として東京裁判で判決をうけた者は25名と
なっています。
1)絞首刑(死刑) 7名
板垣征四郎:昭和6年(1931)9月18日、
関東軍参謀の石原莞爾(かんじ)と
奉天郊外柳条湖で満鉄の線路を
爆破(満州事変を扇動の罪)
木村兵太郎:ビルマ方面軍司令官、
東条内閣陸軍次官、(英国に対する開戦の罪)
東条英機 :第40代内閣総理大臣、(真珠湾攻撃の罪)
土肥原賢二:奉天特務機関長、第12方面軍司令官(中国侵略の罪)
広田弘毅 :文民 外務大臣及び総理大臣として
軍部の行動を阻止できなかった。
松井石根 :南京虐殺(数十万人)の最高責任者
平和に対する罪では無罪
武藤章 :第14方面軍参謀長(フィリピン)、(一部捕虜虐待の罪)
2)終身刑 16名
荒木貞夫、梅津美治郎(獄中死)、大島浩、
岡敬純、賀屋興宣、木戸幸一、小磯国昭(獄中死)
佐藤賢了、嶋田繁太郎、白鳥敏夫(獄中死)、
鈴木貞一、橋本欣五郎、畑俊六、平沼騏一郎(獄中死)、
星野直樹、南次郎
3)有期禁固刑 2名
東郷茂徳(20年)(獄中死)、重光葵(7年)
昭和53年(1978)、靖国神社は東京裁判の死刑及び
裁判中の病死、獄中死の14名を「昭和時代の殉難者」
として合祀した。 靖国に戦死者以外が合祀される
ことは例外的であった。また、広田弘毅など非軍人を
合祀したことでも例外的な措置であった。
死亡の理由は法務死となっている。
ちなみにB,C級戦犯は上記国際軍事裁判条例第6条のB項
「通例の戦争犯罪」に係る罪に問われたものがB級戦犯で
C項「人道に対する罪」の該当するものをC級戦犯と定義
されている。」
昨年(2007年)の広島の平和宣言に関する記事はこちら。
広島市が作成している各年の平和宣言文。