2009年 02月 27日
明治天皇須磨御小休所跡の碑 |
標題の碑が現光寺の境内にあります。(下の写真2009-2-15撮影)

石碑の横側には明治18年8月10日に須磨の旧家で村長をしていた直井藤左衛門邸で
明治天皇が小休息をとられたときの記念の碑である。
明治天皇が山口、広島、岡山の3県を御巡行の岐路垂水区舞子の山田邸で休息を
とられた後11時3分に直井邸に到着休息をとられたとのことである。
尚、直井邸は山陽電鉄須磨駅の東約50mのところにあったとのことです。
以前はその直井邸の前に石碑があったのが現光寺に移設されたものです。
今でも「御小体」と書かれた木札は保存されているそうです。
2012年3月19日にプクチン様から直井藤左衛門邸が現在の市バス75系統の
付近で薬局があるところであるとの指摘をしていただきました。
これを受けて直井邸のあった場所を記した資料がありましたのでアップします。
出典:鴻山俊雄著「思い出の記 須磨回想(1)」「日華月報」第229号
(野田清之、鴻山俊雄作図) 昭和60年 関西大学図書館蔵


上の写真は山陽電鉄須磨駅の東50mの直井藤左衛門邸の前にあった当時の
明治天皇須磨御小休所跡の石碑の写真です。
写真の出所:須磨の散歩道 史跡をたずねて 須磨観光協会、須磨区役所編
昭和47年10月10日 須磨区広報相談課

石碑の横側には明治18年8月10日に須磨の旧家で村長をしていた直井藤左衛門邸で
明治天皇が小休息をとられたときの記念の碑である。
明治天皇が山口、広島、岡山の3県を御巡行の岐路垂水区舞子の山田邸で休息を
とられた後11時3分に直井邸に到着休息をとられたとのことである。
尚、直井邸は山陽電鉄須磨駅の東約50mのところにあったとのことです。
以前はその直井邸の前に石碑があったのが現光寺に移設されたものです。
今でも「御小体」と書かれた木札は保存されているそうです。
2012年3月19日にプクチン様から直井藤左衛門邸が現在の市バス75系統の
付近で薬局があるところであるとの指摘をしていただきました。
これを受けて直井邸のあった場所を記した資料がありましたのでアップします。
出典:鴻山俊雄著「思い出の記 須磨回想(1)」「日華月報」第229号
(野田清之、鴻山俊雄作図) 昭和60年 関西大学図書館蔵


上の写真は山陽電鉄須磨駅の東50mの直井藤左衛門邸の前にあった当時の
明治天皇須磨御小休所跡の石碑の写真です。
写真の出所:須磨の散歩道 史跡をたずねて 須磨観光協会、須磨区役所編
昭和47年10月10日 須磨区広報相談課
by seiyo39
| 2009-02-27 06:36
| 神戸情報
|
Comments(4)
子供の頃、まだ市営地下鉄が通ってなくて、ピアノを習いに行くのに国鉄を使ってたのですが、75系統の須磨駅前バス停が、ちょうどこのお宅の前にあり、この石碑がありました。
いつの間にかパチンコ屋が建ち、今では薬局になっています。
風情のあった須磨は、どんどん過去の貴重な建物が、その姿を消してしまってます。
あのお家にいた老夫婦はどうなったんだろう…と、ネットで検索したら、こちらに辿り着けました!貴重なお写真ありがとうございますm(__)m
いつの間にかパチンコ屋が建ち、今では薬局になっています。
風情のあった須磨は、どんどん過去の貴重な建物が、その姿を消してしまってます。
あのお家にいた老夫婦はどうなったんだろう…と、ネットで検索したら、こちらに辿り着けました!貴重なお写真ありがとうございますm(__)m
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プクチン 様
コメントありがとうございました。
75系統(妙法寺行き)の須磨駅前付近に直井邸が
あったのですね。
こちらこそ、貴重なコメントをいただき感謝しております。
私は神戸に移住してまだ5年弱で昔のことは文献資料や
取材でしか情報入手できません。
実際に碑があったことを記憶されているプクチン様の
コメントに再度御礼申し上げます。
コメントありがとうございました。
75系統(妙法寺行き)の須磨駅前付近に直井邸が
あったのですね。
こちらこそ、貴重なコメントをいただき感謝しております。
私は神戸に移住してまだ5年弱で昔のことは文献資料や
取材でしか情報入手できません。
実際に碑があったことを記憶されているプクチン様の
コメントに再度御礼申し上げます。
私は70歳の老人ですが、何代か前の祖先がこの石碑の持ち主でした。須磨村の村長をされていたそうですが、もちろん直接は知りません。この石碑は復刻されたもので、本物は阪神淡路大震災で倒れたところ、悪い人が持って行ってしまったそうです。国産の御影石は高く売れるんだそうです。おそらく本物は磨かれて誰かのお墓になっているんじゃないかとのことでした。

















