源氏物語第54帖夢浮橋の古跡碑と紫式部像 |
望まれた一乗院の后上東門院は女房の紫式部に新作物語を作るように命じた
ことで誕生しました。
紫式部は寛弘5年(1008)頃、大津の石山寺に7日間籠もり源氏物語の
構想が生まれた。
琵琶湖に写る月を眺めていた紫式部の脳裏に浮かんだ構想をそばにあった
大般若経の裏に「今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく---」
と書き留めました。
これは光源氏が須磨に流され遠く都を回想するシーンに生かされています。
上の写真は宇治橋の河畔にある源氏物語第54帖夢浮橋の古跡碑です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)より夢浮橋の解説を引用させて
いただきます。夢浮橋 (The Floating Bridge of Dreams)
「薫28歳の夏の話。
薫は比叡山の奥、横川(よかわ)を訪ね、僧都から小野で出家した女のことを詳しく聞いた。
浮舟に違いないと知った薫は夢のような気がして涙を落とした。その様子を見て、
僧都は浮舟を尼にしてしまったことを後悔した。薫は僧都に浮舟のいる小野への案内を
頼むが、仏道の障りを危ぶむ僧都は承知するはずもなく、浮舟への文を薫が連れてきた
浮舟の弟・小君に託しただけだった。
その夜、下山する薫一行の松明の光が、小野の庵からも見えた。妹尼たちが薫の噂を
する中、浮舟は一人念仏に心を紛らわす。
翌日、小君が薫の使者として小野を訪れた。朝早くに僧都から昨日の事情を知らせる文が
届いており、妹尼たちが浮舟の素性に驚いていたところだった。小君が持参した僧都の
文には、薫との復縁と還俗の勧めをほのめかしてあった。簾越しに弟の姿を見た浮舟は
動揺するが、結局は心を崩さず、妹尼のとりなしにも応じず、小君との対面も拒み、
薫の文にも人違いらしいと言って受け取ろうとしなかった。むなしく帰京した小君から浮舟の
様子を聞いた薫は、浮舟の心裏を汲み取ることができず、また誰か別の男が隠している
のだろうかなどと、あらぬ疑いさえ抱くのであった。」
上の写真は紫式部像です。
源氏物語は世界最古の長編小説であり英語、ドイツ語、フランス語、中国語などに
訳されており世界中で読まれています。
源氏物語の英文サマリー1
源氏物語英文サマリー2
源氏物語英文サマリー3
源氏物語リンク集
上の地図は宇治十帖の古跡の位置を示すものです。
出典:斎藤幸雄 著「宇治川歴史散歩」 Page104