宇治橋 |
宇治橋断碑はもともとは橋畔にあったものですが、いつのまにか流出して
行方がわからなくなっていたが寛政3年(1791)付近の土中
から断片が発見され「帝王編年記」という書物に収められて
いた碑文の全文により、欠如していた部分を補って再建されました。
宇治橋は大化2年(646年)に初めて僧道登の指導で架橋されたされています。
弘安9年(1286)西大寺の僧叡尊(えいそん)による再興時、宇治川中州の
浮島(塔の島)に十三重石塔が建立され、盛大な放生会(ほうじょうえ)が
営なまれました。
宇治橋に関わる話題は多く「源平合戦の舞台」「三の間からの茶用の水の汲み取り」
「橋姫」「柳橋水車屏風に見られる黄金の橋」等数々の伝説やドラマがあります。
上の写真は平等院側から見た宇治橋(2008-2-10撮影)
完全な定点撮影にはなっていませんが年月日を変えた宇治橋の写真を添付します。
上の写真は2013-12-23撮影の宇治橋
宇治橋は646年に奈良元興寺の僧「道登(どうと)」によって架けられた日本最古の橋と言われています。
「瀬田の唐橋」と「山崎橋」と共に、日本三古橋の一つに数えられる。
山崎橋:行基が神亀2年(725年)に架けたと伝えられる。淀川に架かっていた橋
瀬田の唐橋:667年旧暦3月19日、中大兄皇子は都を近江大津へ移したこの当時に架けられたと伝わる
現在の橋は、従来の伝統的な木橋のイメージを残しながら近代の最新の土木技術が駆使され、平成8年3月に完成しました。
上の写真は通円側から見た宇治橋(2008-2-10撮影)
宇治橋から塔の島方面を臨む。
上の写真は擬宝珠(ぎぼし)で平成8年(1996)の架橋時には寛永13年(1636)に
架橋された時の擬宝珠をモデルとして製造されています。