宇治 興聖寺 |
住所:宇治市宇治山田27 TEL:0774-21-2040
山号:仏徳山
興聖寺は天福元年(1233)曹洞宗の始祖 道元(当時34歳)が城州宇縣(現在の伏見・深草)
にあった極楽寺観音導利院に滞在された後、嘉禎2年(1236年) 伽藍を整備し、
観音導利興聖宝林禅寺に改名 したのが始りです。その後道元が寛元元年(1243)越前に
曹洞宗を広める旅に出た後は荒廃してしまった。
現在は京都市伏見区深草宝塔寺山町32にある日蓮宗宝塔寺となっています。
慶安2年(1649)、当時の淀城主で徳川秀忠の側近であった永井尚政がみずからの菩提寺
を発願し、宇治七名園の一つの朝日茶園であった現在の場所に再興されました。
永井尚政(永井信濃守大江尚政朝臣)は永井尚勝(1563-1625)の息子で父の
文武両道に秀でた気質をそのまま引き継いでいる。
復古禅の革新運動で知られた万南英種が中興開山として迎えられました。
慶安3年(1650)12月に中院通村(1588-1653)の筆による興聖寺縁起も整備された。
法堂(本堂)は伏見城の遺構と伝えられ廊下に血の手形や足跡がかすかに見られる。
その奥に建つ天竺堂には、宇治十帖古跡の「手習の杜」に祭られていた「手習観音」が安置されています。
下の写真は裏山にある宝篋印塔群です。
海軍で火薬の研究、熱力学理論で知られる元東京帝大教授、京城大学総長の山家信次先生の
墓もあります。