2009年 04月 05日
如意寺 |
本日は如意寺の紹介をします。
神戸市営地下鉄西神南駅の西にある井吹台谷口公園の北側にあります。
如意寺 山号:比金山 宗派:天台宗
住所:神戸市西区櫨谷町谷口259 TEL:078-991-0009
伝説では推古天皇の勅により天竺(インド)から飛来したとされる法道仙人によって開かれた
と言われています。
その当時は櫨(はぜ)の木で彫られた地蔵菩薩を祀ったのが起源。
大化元年(645)に孝徳天皇の勅願寺と定められて堂塔伽藍が建立された。
その後一時衰退していたが平安時代中期に安養尼願西(恵信僧都の姉)により中興された。
この一帯は源氏物語「明石の巻」の舞台であり、深山の常行堂や明石入道といった当時の
王朝趣味を堂塔のプランに採用しているのが見て取れる。
現在は本堂こそなくしているものの、阿弥陀堂(常行堂)は院政時代の建築。
本堂は昭和20年(1945)の空襲により倒壊し、石段と石礎が名残りを残して
います。
三重塔・文殊堂とともに、昭和27年(1952)7月19日に国の重要文化財に指定されている。
阿弥陀堂(常行堂)は常行三昧という天台宗の重要な修業のためのお堂で阿弥陀如来を
本尊としています。
寛永13年(1406)、寛文12年(1672)に大きく改修されています。
江戸時代には12坊あったようです。
江戸時代の石高は43石で太山寺の35石より多かった。
三重塔は元和5年(1619)の修理の際に発見された相輪の龍車(りゅうしゃ)の刻銘により
至徳2年(1385)の建立と判明。
伽藍の南端の傾斜地に建てられた文殊堂は懸造様(かけづくりよう)の高床(たかゆか)
を持つ建物で、建立年代は応永13年(1406)の罹災後と考えられ巻斗(まきと)の内部の
厨子に聖僧文殊(しょうそうもんじゅ)を安置する
山門の金剛力士像像2体(阿形・吽形)も見ごたえがあります。鎌倉時代の作で貴重なものです。

上の写真は山門です。下の写真は金剛力士像。損傷が著しいようですが貴重なもので
何とか末永く整備して後世に伝えるべき文化財の一つだと思います。



上の写真は山門にかかっている看板で明石西国第21番霊場と書かれています。

入口から寺に入ると文殊堂と三重塔が出迎えてくれます。
約1000年前に願西(がんせい)上人により中興された寺で歴史を実感できる閑静な寺です。

上の写真は三重塔です。
軒の出が深く美しい建築です。

上の写真文殊堂の全景です。

上の写真は三重塔の骨組み。

上の写真は千人講より寄進された石塔で櫨谷村、伊川村、押部村、平野村、垂水村
玉津村などの人達の名前が刻印されています。

上の写真は常行堂(阿弥陀堂)の全景。

上の写真は一石仏が並んだ常行堂(阿弥陀堂)の裏手の塀を撮ったものです。

上の写真は常行堂(阿弥陀堂)の横にある宝篋印塔。
15世紀室町時代の作品で、平家滅亡のきっかけになった砺波山の平家の大将
平維盛(たいらのこれもり)を供養したものと伝えられています。

上の写真は三重塔の遠景。

上の写真は狐狸庵の前の庭。宮本武蔵に関係があるのかどうか?
写真はすべて2009-3-23撮影。
神戸市営地下鉄西神南駅の西にある井吹台谷口公園の北側にあります。
如意寺 山号:比金山 宗派:天台宗
住所:神戸市西区櫨谷町谷口259 TEL:078-991-0009
伝説では推古天皇の勅により天竺(インド)から飛来したとされる法道仙人によって開かれた
と言われています。
その当時は櫨(はぜ)の木で彫られた地蔵菩薩を祀ったのが起源。
大化元年(645)に孝徳天皇の勅願寺と定められて堂塔伽藍が建立された。
その後一時衰退していたが平安時代中期に安養尼願西(恵信僧都の姉)により中興された。
この一帯は源氏物語「明石の巻」の舞台であり、深山の常行堂や明石入道といった当時の
王朝趣味を堂塔のプランに採用しているのが見て取れる。
現在は本堂こそなくしているものの、阿弥陀堂(常行堂)は院政時代の建築。
本堂は昭和20年(1945)の空襲により倒壊し、石段と石礎が名残りを残して
います。
三重塔・文殊堂とともに、昭和27年(1952)7月19日に国の重要文化財に指定されている。
阿弥陀堂(常行堂)は常行三昧という天台宗の重要な修業のためのお堂で阿弥陀如来を
本尊としています。
寛永13年(1406)、寛文12年(1672)に大きく改修されています。
江戸時代には12坊あったようです。
江戸時代の石高は43石で太山寺の35石より多かった。
三重塔は元和5年(1619)の修理の際に発見された相輪の龍車(りゅうしゃ)の刻銘により
至徳2年(1385)の建立と判明。
伽藍の南端の傾斜地に建てられた文殊堂は懸造様(かけづくりよう)の高床(たかゆか)
を持つ建物で、建立年代は応永13年(1406)の罹災後と考えられ巻斗(まきと)の内部の
厨子に聖僧文殊(しょうそうもんじゅ)を安置する
山門の金剛力士像像2体(阿形・吽形)も見ごたえがあります。鎌倉時代の作で貴重なものです。

上の写真は山門です。下の写真は金剛力士像。損傷が著しいようですが貴重なもので
何とか末永く整備して後世に伝えるべき文化財の一つだと思います。



上の写真は山門にかかっている看板で明石西国第21番霊場と書かれています。

入口から寺に入ると文殊堂と三重塔が出迎えてくれます。
約1000年前に願西(がんせい)上人により中興された寺で歴史を実感できる閑静な寺です。

上の写真は三重塔です。
軒の出が深く美しい建築です。

上の写真文殊堂の全景です。

上の写真は三重塔の骨組み。

上の写真は千人講より寄進された石塔で櫨谷村、伊川村、押部村、平野村、垂水村
玉津村などの人達の名前が刻印されています。

上の写真は常行堂(阿弥陀堂)の全景。

上の写真は一石仏が並んだ常行堂(阿弥陀堂)の裏手の塀を撮ったものです。

上の写真は常行堂(阿弥陀堂)の横にある宝篋印塔。
15世紀室町時代の作品で、平家滅亡のきっかけになった砺波山の平家の大将
平維盛(たいらのこれもり)を供養したものと伝えられています。

上の写真は三重塔の遠景。

上の写真は狐狸庵の前の庭。宮本武蔵に関係があるのかどうか?
写真はすべて2009-3-23撮影。
by seiyo39
| 2009-04-05 08:08
| 神戸情報
|
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