青葉の笛 その2 青葉の笛か小枝の笛か? |
その後、青葉の笛は非常に奥の深い話があることを少しかじったので、違った観点で
本記事を書きました。
上の写真は平敦盛と熊谷直実の像の近くある蕪村の句碑で
「笛の音に波もよりくる須磨の秋」と詠まれています。
松尾芭蕉は「須磨寺や 吹かぬ笛聞く 木下闇」と詠んでいます。
上下の写真は須磨寺に展示されている平敦盛公の像である。
上の写真は須磨寺の宝物館にある青葉の笛である。
右の太い笛が青葉の笛で左の細い笛が高麗笛=小枝(さえだ)の笛である。
小枝が敦盛公の所持となるまでの流れは、鳥羽上皇→忠盛→経盛→敦盛で
平家物語の記述によれば敦盛公が持っていた横笛をさえだとぞ申しけるとあり
小枝(さえだ)の笛が適切な呼び方としている。
源平盛衰記でも夜深くまで冴えるということでさえだと呼ばれると記述されています。
一方青葉の笛の名称は世阿弥元清作の謡曲「敦盛」1400年頃の作のなかで
草刈の吹く笛ならばこの名は青葉の笛と思し召せとあります。
さらに高麗笛の名前もでてきます。
青葉の笛の材料にされた、鹿児島県台明寺(現在の日枝神社)の「青葉の笛竹」が
宮廷に献上されていた記録もあります。
1400年以降の記録には青葉の笛の記録が多く見られるようである。
横笛の研究家 美濃晋平氏の講演がHPに載っており各地の青葉の笛という項があります。
その記述から引用させていただきますと「現在、『青葉の笛』として伝えられている笛は、
少なくとも日本全国に八本存在する。この青葉の笛のうち、平敦盛が所持していたと
伝えられる笛は、北海道の姥神大神宮。神戸市の須磨寺。酒蔵大関長谷部家。
そのレプリカと考えられてのいる笛が山口県下関市の赤間神宮に、合計四管伝えられている。」
詳細はこちら。
さらに九頭竜川の源流の村(和泉村)に伝わる伝説、悪源太義平と青葉の笛も
敦盛の青葉の笛より古い時代に青葉の笛という名前がでてきており興味深い。
詳細な紹介はこちら。
以上4枚の写真は2009-3-7撮影。
さらに本堂とななめ対面に青葉の笛のモニュメントがあります。(上の写真)
上の写真はモニュメントの青葉の笛をアップで撮ったものです。
下の写真は青葉の笛の1番 敦盛の歌詞と楽譜です。
上記3枚の写真は2009-7-18(土)撮影。