2009年 09月 10日
明石原人の腰骨の発見地 |
明石原人の腰骨は昭和6年(1931)4月18日病気療養で明石に滞在していた
故直良信夫(なおらのぶお)博士(元早稲田大学教授)がここ屏風ヶ浦海岸で発見したが、
東京大空襲で喪失してしまいました。
当時の考古学の世界で日本には旧石器時代(5万年~12万年前)はなかったという説が
常識であったのがこの発見によりくつがえされた大きな発見でした。
昭和23年(1948)長谷部言人(はせべことんど)博士(元東京大学教授)はニッポンナントロプス
=アカシエンスの名を与え明石原人と呼ばれるようになった。
昭和60年(1985)3月1日~21日まで国立民俗博物館春成秀爾(はるなりひでじ)助教授を中心とする
調査団は、これまで西八木海岸とよばれてきた明石市大久保町八木字宮西509番地の発掘
を行った。その結果は、「国立民俗学博物館研究報告」第13集 「明石市西八木海岸の発掘調査」
(昭和62年=1985)にくわしく述べられている。6万年前から12万年前の木器や石器の出土を確認
しています。
当初は原人の骨と思われていたが、その後発見された地層を調べた結果、旧人の可能性が高まり、
原人か旧人かなどで長らく学会の論争が続いていた。原人と旧人は、同様に狩猟生活をしていたが、
脳の大きさや骨格の違いによって区別される。原人は更新世中期(90万年前±30万年)に属し、
簡単な石器を使用したのに対し、旧人は更新世後期前半(1.1万年前~30万年前)に存在し、
進んだ技法による打製石器を用いたとされる。
[1997-10-06-19:18] 時事通信ニュース速報及び現地の説明書きより要約及び加筆引用
現在の教科書などには明石人となっている。
また縄文時代(0.3万年前~1.3万年前)の人骨か?とする説もあるようである。
旧人の骨としては愛知県豊橋市牛川町で発掘された牛川人が日本で唯一の旧人と
されています。

上の写真が明石人の腰骨が発見された屏風ヶ浦海岸。写真のように金網のフェンスが
設置されており盗掘されることを防いでいるようです。
正確には昭和60年(1985)に再調査された場所で直良信夫博士が人骨を発見した
場所はサイクリングロードより住吉神社への登り口あたりです。
現在は防波堤が建設されその内側はサイクリングロードとして整備されています。

上の写真は屏風ヶ浦海岸の海側を撮った写真です。
何れの写真も2009-9-9撮影。
地図はこちら。 住所:明石市大久保町八木
有料老人ホームのパーマリィ イン明石を目印にして行かれると良いと思います。
by seiyo39
| 2009-09-10 06:20
| 神戸以外の兵庫県
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