光触寺 太閤秀吉三木城攻めの明石での本陣 |
光触寺(こうそくじ)
住所:明石市大久保町 大窪1213 TEL:078-936-0609
山号:解脱山
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平安時代後期に源氏の武将佐々木高綱の弟義清は延暦寺で仏門に入り
寿信と名乗り諸国を廻り修業しました。
寿信が明石の大久保辺りに留まって建てられた寺が光触寺です。
後に本願寺の播州六坊のひとつになりました。
天正6年(1587)の夏三木合戦時(別所長治の三木城を攻撃)の豊臣秀吉の本陣跡で、
境内には太閤腰掛松があります。
表門の薬医門は四足の陽明門で、姫路城主池田輝政の寄進であると伝えられています。
また、山門の右手に「左巻き地蔵」の祠があります。エプロン(よだれかけ)の下に
左巻きの型が付いていることからそう呼ばれています。
下の写真はすべて2009-9-9撮影。
上の写真は左巻き地蔵(左手)。右手の白壁の小さな楼も目立つ建物です。
上の写真は姫路城主池田輝政の寄進の門
光触寺(こうそくじ)の外壁の外側から本堂及び鐘楼を撮ったもの。
上の写真は本堂。だいぶ傷みが進行しているようで大きな地震がきたら怖いなあと
感じました。現在の松は3代目だそうです。
看板には太閤駒留り松と書かれています。
太閤腰掛松の拡大写真です。
上の写真は本堂側より門を臨み撮ったものです。
上の写真は鐘楼。
上の写真は昔の街道(古山陽道又は西国街道)であった思われる小路。
浄土真宗の教専寺の前あたり。昔の佇まいが残っている民家の多い場所です。