海外移住と文化の交流センター |
海外移住と文化の交流センターとして耐震補強工事、内外装の整備をしてオープン
しました。
本日はその展示内容について部分的ですが紹介します。
撮影日はすべて2009-8-27です。
明治41年(1908)4月28日 笠戸丸が神戸港から781人の移住者を乗せて出航し
52日間の航海後 ブラジルサントス港に到着しました。本年はそれから101年になります。
大正14年(1925)には政府が渡航費を補助するブラジル移民が始り昭和46年(1971)
神戸港から最後の移民船が出港するまで約40万人の移住者が神戸からブラジル、
アルゼンチン、パラグアイ、ペルーなど南米各国に出航していきました。
旧神戸移住センターはそのうち約25万人を受け入れてきました。
昭和3年(1928)国立神戸移民収容所は昭和7年(1932)には神戸移住教養所
昭和16年には戦争の影響で閉鎖、昭和27年(1952)神戸移住斡旋所
昭和39年(1964)神戸移住センター、昭和46年(1971)閉鎖という経緯を辿って
います。
上の写真はブラジルの国旗がある展示風景です。
海外には約270万人日系人がおられるそうで、そのうち140万人がブラジルで生活
されています。
上の写真はパラグアイ、下の写真はボリビア移住の資料です。
ドミニカ(上の写真)、ペルー(下の写真)の移住資料。
コロンビア(上の写真)、アルゼンチン(下の写真)の移住資料。
上の写真は石川達三の蒼氓(そうぼう)の書き出しの原稿。
「1930年3月8日。神戸港は雨である。…三ノ宮駅から山ノ手に向かう赤土の坂道は
どろどろのぬかるみである。この道を朝早くから幾台となく自動車がかけ上がって行く。
この道が丘につきあたって行き詰まったところに黄色い無装飾の大きなビルディングが建つている。
是が「国立海外移民収容所」である」
山下達郎のアルバム「僕の中の少年」に「蒼氓」という曲がありますので
リンクさせていただきます。
昭和10年(1935)第1回芥川賞の受賞作になった石川達三の蒼氓(そうぼう)は、
この収容所が舞台になった。出航前の8日間をここで過ごした。
上記の蒼氓では「部屋は中央に四尺の通路を空けて、あとは両側にぎっしりと12のベッドが
床のように連なっている。通路には2つの長椅子と1つの長い机。」と描写されています。
メリケン波止場にもありますが希望の旅立ちの像。
JAICA横浜の海外移住資料館へのリンク
山口県周防大島の日本移民資料館(ハワイへの移民)訪問記へのリンク