神戸を中心とした源平の史跡 その1 |
みようと思います。
まず、神戸市須磨区の源平史跡を訪ねてみます。
1.勝福寺
住所:神戸市須磨区大手町9-1-1 TEL:078-731-1253
清盛寄進の密教法具があります。
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2.妙法寺
住所:神戸市須磨区妙法寺毘沙門山1287 TEL:078-511-2788
福原遷都の際、都を守る霊場として「新鞍馬山」の勅願を賜ったと伝えています。
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3.安徳宮と安徳帝内裏跡の碑
住所:神戸市須磨区一の谷町2丁目
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安徳帝は、清盛の娘建札門院徳子を母として生まれ(1178年)、平家一門に奉じられ
壇ノ浦で入水(1185年)されたと伝えられる悲劇の幼帝(第81代天皇)です。
一の谷に一時内裏を置かれた伝えられています。
隣地には真理胡弁財天もあります。
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4.那須神社
住所:神戸市須磨区妙法寺字宮ノ下 TEL:078-741-2334(春日神社社務所)
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北向八幡宮に隣接して源平合戦の屋島の戦いで功があった那須与市宗高を祀る
那須神社があります。
5.須磨寺
住所:神戸市須磨区須磨寺町
TEL:078-731-0416 FAX:078-731-6859
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熊谷直実&平敦盛の戦いを描いた源平の庭、敦盛首塚、青葉の笛、敦盛首洗い池
などがあります。
6. 平重衡(たいらのしげひら)の捕らわれの松
住所:神戸市須磨区須磨寺町1-13
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寿永3年(1184)2月7日源平合戦の時生田の森から副大将平重衡は
須磨まで逃れて来たが源氏の捕虜となり土地の人が哀れに思い名物の
濁酒すすめたところ重衡はたいそう喜んで
「ささほろや 波ここもとを 打ちすぎて 須磨でのむこそ 濁酒なれ」 の
一首を詠んだ。のち鎌倉に送られ処刑された。
7.敦盛塚
住所:神戸市須磨区一の谷町5丁目
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寿永3年(1184)2月7日に、当時16才の平敦盛が、熊谷次郎直実によって
首を討たれ、それを供養するためにこの塔を建立したという伝承から、
"敦盛塚"と呼ばれるようになった。