2009年 12月 11日
兵庫県立考古博物館の展示 その1 明石城下町町屋敷遺跡 |
今年の夏に発掘された遺跡明石城下町町屋敷跡の関する展示がありました。
(2009-12-8訪問)
兵庫県立考古博物館のHPでの紹介。
明石城下町町屋跡の住所;明石市西新町2丁目
展示の説明書きより要約引用させていただきます。
「明石城の城下町は江戸時代の絵図によると一部が明石川の西側まで広がっていました。
今回の調査では、江戸時代後期~明治初期(1750~1890)にかけての遺構や遺物が
見つかりました。
調査した地域は当時の庶民が暮らす町屋だったようで土杭や溝などとともに多数の
生活道具(主に陶磁器)や土人形、瓦などが出土しました。
4箇所から見つかった胞衣壷(えなつぼ)はたこ壷が使用されていました。」
胞衣壷(えなつぼ)とはウィキペディア(Wikipedia)によれば
「胞衣壺(えなつぼ)は、胞衣(人間の胎盤)を埋納する際に納める容器(壺)。
生まれた子供の健やかな成長や立身出世を祈い家の間口や土間に埋納する
習俗において用いられ、胎盤とともに銭貨を埋納する場合もある。
日本では縄文時代中期の埋甕に遡り、古代には埋納方法が確立し
秋田城跡(秋田県秋田市)や長岡京跡(京都府向日市・長岡京市)などで出土している。」
他にトイレの遺構である埋桶(うめおけ)も見つかったようです。

上の写真は兵庫県立考古博物館の外観です。平成19年(2007)10月にオープンした
新しい施設です。古代の建物をモチーフした展望室からは播磨町全体が眺望できます。

日常しようされていた食器や酒器など陶磁器の破片が発掘されたようです。

上の写真は遺跡から発掘された胞衣壷(えなつぼ)。
いかにも明石の土地柄らしくたこ壷が使用されています。
明石城下町町屋跡の発掘速報情報(PDF)
平成21年6月30日(火)~7月26日(日)9:00~18:00兵庫県立考古博物館で
上記の資料が展示されたようです。
(2009-12-8訪問)
兵庫県立考古博物館のHPでの紹介。
明石城下町町屋跡の住所;明石市西新町2丁目
展示の説明書きより要約引用させていただきます。
「明石城の城下町は江戸時代の絵図によると一部が明石川の西側まで広がっていました。
今回の調査では、江戸時代後期~明治初期(1750~1890)にかけての遺構や遺物が
見つかりました。
調査した地域は当時の庶民が暮らす町屋だったようで土杭や溝などとともに多数の
生活道具(主に陶磁器)や土人形、瓦などが出土しました。
4箇所から見つかった胞衣壷(えなつぼ)はたこ壷が使用されていました。」
胞衣壷(えなつぼ)とはウィキペディア(Wikipedia)によれば
「胞衣壺(えなつぼ)は、胞衣(人間の胎盤)を埋納する際に納める容器(壺)。
生まれた子供の健やかな成長や立身出世を祈い家の間口や土間に埋納する
習俗において用いられ、胎盤とともに銭貨を埋納する場合もある。
日本では縄文時代中期の埋甕に遡り、古代には埋納方法が確立し
秋田城跡(秋田県秋田市)や長岡京跡(京都府向日市・長岡京市)などで出土している。」
他にトイレの遺構である埋桶(うめおけ)も見つかったようです。

上の写真は兵庫県立考古博物館の外観です。平成19年(2007)10月にオープンした
新しい施設です。古代の建物をモチーフした展望室からは播磨町全体が眺望できます。

日常しようされていた食器や酒器など陶磁器の破片が発掘されたようです。

上の写真は遺跡から発掘された胞衣壷(えなつぼ)。
いかにも明石の土地柄らしくたこ壷が使用されています。
明石城下町町屋跡の発掘速報情報(PDF)
平成21年6月30日(火)~7月26日(日)9:00~18:00兵庫県立考古博物館で
上記の資料が展示されたようです。
by seiyo39
| 2009-12-11 06:40
| 神戸以外の兵庫県
|
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