滝瓢水(たきひょうすい)(1684~1762)江戸時代中期の句碑 in 鶴林寺 |
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「ほろほろと雨そう須磨の蚊遺(かやり)かな」と詠まれています。
以下は滝瓢水(滝野瓢水)の人物紹介です。
瓢水は江戸時代中期に活躍した俳人である。貞享元年(1684)別府(べふ)村
(現・加古川市別府)に生まれた。
父は船問屋「叶屋」の主人の3代滝新右衛門政清、母はおさんの1人息子であった。
幼少時は叶屋新之丞有恒(かのうやしんのじょうありつね)と称した。
4代新右衛門有恒と称し、俳号に瓢水のほか富春斎(ふしゅんさい)や自得(じとく)
野橋斉(やきょうさい)などがある。
7歳のとき父新右衛門が死亡。祖父の2代新右衛門清春に溺愛され育てられた。
母おさんの兄で学者の福田貞斎に預け、好きなだけ学問させる。貞斎は俳諧も好み
新之丞に手ほどきしたところ、19歳のとき井上千山の撰集「当座払」に入集した。
大阪の松木淡々の門に入り句集に名を連ねた。
別府(べふ)の住吉神社には瓢水が名付けた「手枕の松」もある。
俳諧に没頭し家業(船問屋)を怠り蔵を売ったとき(享保18年(1733))
「蔵売って日あたりの善き牡丹かな」と句を詠む。
姫路藩主酒井忠恭(ただすみ)公が訪れたとき話の途中でふいに須磨まで
月を眺めに旅たつなど奇行で知られる。
亡き母の墓前で孝行できなかったことを悔いて
「さればとて 石に布団は 着せられず」と句を詠むなど瓢水の句は洒脱なだけでなく
人間味にあふれて、現在でも多くの人に親しまれている。
宝暦12年(1762)、5月17日(現在暦では7月8日) 大坂で没。享年78歳。
遺骸(いがい)は持明院(大阪市天王寺区生玉町)に埋葬、境内に今も墓碑が残る。
鶴林寺以外の句碑の例
「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」 加古川市別府の宝蔵寺に句碑
「本尊は釈迦か阿弥陀か紅葉(もみじ)かな」神戸市須磨区禅昌寺に句碑
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