奈良散策記on2010-4-18(その1) 東大寺 法華堂(三月堂)執金剛神像 |
遷都1300年ということで東大寺、奈良公園周辺は観光客でごったがえしていました。
奈良散策シリーズの第1弾として、東大寺 法華堂(三月堂)と毎年12月16日に秘伝開扉
され公開される執金剛神像を紹介します。
上の写真は東大寺 法華堂(三月堂)執金剛神像です。
写真の出展は下記のとおりで、著作権は問題ありません。
English: Vajra-dhara (Vajrapani, Shukongōshin), Coloured clay statue, Hokke-dō, Todaiji Temple, Nara, 8th century, 167cm height, 8th century, Photo before restoration on right hand finger.
日本語: 執金剛神 塑像 高167cm、法華堂, 東大寺 奈良 天平 8世紀, 右手指修理前の写真
8th century. published in 1939-12-25
The Institute of Art Research Tokyo, The BIJUTSU KENKYU No. XCVI, 1939, Tokyo, Japan
著者:The Institute of Art Research Tokyo より引用
以下Wikipediaより引用
「毎年12月16日の開山忌にのみ開扉される秘仏である。執金剛神とはサンスクリットの
ヴァジュラパーニ(金剛杵をもつ者)の漢訳で、寺院の山門の左右に立つ
金剛力士(仁王)と起源を同じくするが、一対ではなく単独の像として表されたものである。
以下は執金剛神立像特別開扉のパンフレットより
『執金剛神像とは金剛杵(こんごうしょ)を執って仏法を守護する神のことで、
金剛力士(仁王)はこの神将が発展して生まれたといわれています。
法華堂の執金剛神像はこの神将のうちでも古来もっとも著名なもので、
すでに9世紀初頭に成立した『日本霊異記』に、
「法華堂本尊不空羂索観音立像(ふくうけんさくかんのんりゅうぞう)の背後の厨子内に
北面してまつられていた」と記されています。
目を瞋(いか)らせ、口をかっと開いて、いまにも怒号とともに
金剛杵を振り下ろそうとする一瞬の姿が見事にとらえられています。
この像の成立時期については諸説ありますが、東大寺の前身寺院である
金鐘寺(きんしょうじ・或いは、金鍾寺こんしゅじ、とも)時代の良弁(ろうべん)によって
発願(ほつがん)されたとすることはまちがいないとされます。
また、髻(もとどり)の元結(もとゆい)紐の端が欠失しているのは、
天慶2~3年(939~940)の平将門(たいらのまさかど)の乱のおり執金剛神像の前で
将門誅討の祈請を行ったところ、大蜂となって東方に飛び去り、将門を刺して乱を
平定したからだとされ、この像の霊異伝説のもととなっています。
宝前左右の両柱に懸けられている鉄製の燈籠(重要文化財)は、この説話にもとづいて
造られたもので、火袋に蜂が、左では木の枝に止まる姿で、右では羽を広げて空中を
飛ぶ姿で、それぞれ透かし彫りで表されています。製作年代は不明ですが、
火袋上段に見られる唐草文の蔓の延びや形から、室町時代頃のものと推定されています。
厨子の両側には板絵が描かれていますが、この同じ執金剛神像にまつわる説話の
うちから二つの場面を描いたもので、板絵裏面の墨書銘によると、
寛永11年(1634)6月に辻七右衛門丞なる人物によって寄進されたものです。』
東大寺の公式HP
法華堂(三月堂)は本年(2010年)5月18日から7月31日まで拝観停止になるそうです。
その理由は「法華堂内陣の須弥壇と諸尊像の状態を確認するため、文化庁の指導でさまざまな
調査が行われてきました。
その結果、5月18日から3年計画で国庫補助事業として修復作業が実施されることになり、
須弥壇上から全ての仏像を別の場所に移動する必要が出てきた。
安置されている須弥壇そのものが危険な状態でもあるので、移動距離を最小限に抑え、
かつ修復作業の安全確保が最重要課題になります。
そこで、修復に伴う足場やステージを設置するため、急遽入堂拝観を停止せざるを得なくなった。
仏像の修復は①法華堂内、②奈良国立博物館内国宝修理所(奈良博工房)、③奈良国立博物館
の3ヶ所に分かれて作業が行われていく予定だそうです。 」
平成23年10月以降には日光・月光菩薩、弁才天、吉祥天の塑像が、現在建築中の
東大寺総合文化センターに安置されるそうです。
毎日新聞社刊文化庁監修の重要文化財6(彫刻Ⅵ)昭和50年5月20日発行のPage31に
東大寺執金剛神像の内部構造について解説がありましたので要約引用(一部加筆)
させていただきます。(著者は田中 義恭 氏)
「甲をつけ右腕を肩の上で剣をかまえ左足を踏み出した動的なポーズをとる執金剛神像の
場合、框(かまち)に両脚の芯となる2本の角柱を立て、腰のあたりでやや左に傾けた上半身の
角柱を挟んで釘で打ちつけ根幹部の心木とし、これに肩にあたる心木を横に付し、その両端に
両腕の角材を打付している。手の甲はほぼそのかたちに削った木片を打ちつけ、さらに指の
芯となる銅線をそれにとめている。肘や膝などの部分には細い木片を束ねてふくら味を増して
塑形を助けている。天衣は2本の銅線を並行に用い自由に曲げて芯としている。」
上の2枚の写真は法華堂(三月堂)の外観写真で、創建は天平12年(740)から
天平19年(747)と考えられており東大寺最古の建物である。
堂内には本尊の不空羂索観音像をはじめ16体の仏像が安置されています。
前に紹介した執金剛神像以外の14体は下記のとおりです。
国宝(いずれも製作年代は天平時代)
梵天像、帝釈天像、金剛力士像(吽形)、金剛力士像(阿形)、持国天像(四天王)、
増長天像(四天王)、広目天像(四天王)、多聞天像(四天王)、日光・月光菩薩像
重要文化財
吉祥天像、弁財天像(以上の2体は天平時代の作)
地蔵菩薩像、不動明王像(以上の2体は鎌倉-室町時代の作)
Web site on Todaiji Introduced in English -1
Explanation on Hokkedo introduced in English
Web site on Todaiji Introduced in English -2
Sculptures inside of Sangatsudo Hall