奈良散策 on 2010-4-18 (その2) 興福寺 |
法相宗の大本山興福寺を写真紹介します。
法相宗は南都六宗の一つです。
奈良南都六宗は(三論(さんろん)、成実(じょうじつ)、法相(ほっそう)、華厳(けごん)、
倶舎(ぐしゃ)、律(りつ))です。
三論宗:東大寺南院
成実宗:元興寺・大安寺
倶舎:法相宗の一派
華厳宗:東大寺
律宗:唐招提寺
法相宗の中で元興寺を南寺とすると、興福寺は北寺と呼ばれている。
興福寺の前身は「大化の改新」の立役者である「藤原鎌足(中臣鎌足・なかとみのかま
たり)」の病気平癒を願って天智天皇8年(669)に建立された「山階寺(やましなでら)」
から始まり壬申の乱(672)ののち、飛鳥に都が戻った際に「廐坂寺
(うまやざかでら)」と名前を変えた。さらに和銅3年(710)の平城京遷都に際し、
藤原鎌足の息子の藤原不比等が左京三条七坊に移し、興福寺と称した。
興福寺の公式HP
上の写真は興福寺の境内の案内図の写真です。
上の写真は興福寺で最も古い建物「北円堂」
興福寺伽藍の北西隅に位置する国宝「北円堂」は、養老5年(721)奈良朝初代と2代目、
母と娘、元明太上天皇と元正天皇の懇願により、藤原不比等の1周忌に
長屋王が創建しましたが、治承の兵火で焼失し、今の建物は承元4年(1210)頃に
再建されたものです。本尊は運慶の晩年の作で、国宝の「弥勒如来坐像」。
上の写真は仮金堂。創建当時の中金堂を再建する工事が進められていました。
平成22年は興福寺創建から1,300年になるそうで、平城遷都1,300年と連動しています。
上の2枚の写真は南円堂です。
南円堂は西国三十三所第九番札所で、弘仁4年(813)創建されました。
開基は藤原冬嗣です。
英文による興福寺の紹介。
上の写真は興福寺五重塔を描いていた画家の作品製作過程のものです。
観光客が熱心に覗いたり、質問したりしていました。
興福寺五重塔 The five-tier pagoda at Kofukuji Temple.
東寺の五重塔の次ぎ日本で2番目に高い五重塔だそうです。
At a height of 50 meters (164 ft), the five story pagoda is Japan's
second tallest, just seven meters shorter than the five story pagoda
at Kyoto's Toji Temple. Kofukuji's pagoda is both a landmark and
symbol of Nara. It was first built in 730, and was most recently
rebuilt in 1426.
参考として山口市の瑠璃光寺の五重塔の写真にリンクしておきます。2000年11月4日訪問