旭の鳥居 on 2010-5-25 |
高さ約3mの鳥居です。
言い伝えでは布引山=砂山(いさご)に生田神社があった頃の一の鳥居だといい、
元日の朝には影が差さないことからこの名が付いたという。
799年(延暦18年)4月9日の大洪水により砂山の麓が崩れ、山全体が崩壊する
おそれがあったため、村人の刀祢七太夫が祠から御神体を持ち帰り、
その8日後に現在地にある生田の森に移転したといわれている。
しかし、それほど古い鳥居とは考えられず北にある熊内八幡神社と
関係があるのかもしれない。
所在地は神戸市中央区熊内町4丁目です。熊内について述べます。
「熊内」は「くもち」と読みます。
地名の由来は詳らかでない。熊内町の町名は、旧熊内村から採用、大正15年12月に成立した。
「くまうち」が転訛したと思われる。淡路の南あわじ市にある神代を「くましろ」と呼ぶように、
神を「クマ」と読む例は多いことから、「神」のことではないかという説が有力である。
生田神社が砂山(いさごやま)にあった頃の神域が「神内(くまうち)」になったという説、
生田神社への供米を「くまい」「くましね」ともいい、供米地(くまいち)が「熊内」になったという説、
山の隈地だったからだという説も有力である。
古来、この地の畑作は盛んで熊内大根が地元の特産品として有名であった。


雲中公園脇のこの鳥居のいわれを紹介する木製の棒は、現在よりももっと長くて、先が腐って今にも倒れそうでした。しばらくすると現在のように深く土に刺し直されていたのですが、土の中に消えた部分には、892年?奉戴と書かれていたと思います。遣唐使廃止の頃で、すごく古いんだなあと当時感激しました。大事な史実が消えてしまったので、気になって投稿しました。
コメントありがとうございました。また892年?・・・・・の貴重な情報ありがとうございました。

















