プロジェクトJAPANの第3回 戦争に動員された人々 ~皇民化政策の時代~ |
テーマは日本と朝鮮半島を視聴した。6月20日に放送された番組の再放送である。
その内容を略記するとともに近代の日朝関係の歴史の整理を試みてみた。
尚、プロジェクトJAPANはNHKが平成21年(2009)度から3年間の中期経営計画において
取り組む大型プロジェクトである。
プロジェクトJAPANの公式HP
NHKオンラインでの番組紹介
前置きが長くなりましたが第3回 戦争に動員された人々 ~皇民化政策の時代~ の内容
について略記します。解説は礒野佑子氏とNHK解説員の五十嵐公利氏で進められた。
冒頭には今年(2010)の5月19日に68年ぶりに東京から戻ってきた219人の朝鮮の
戦争犠牲者遺骨が望郷の丘に収容される様子が映し出され、次に24万人以上の
朝鮮人が皇民化政策のもと戦争に借り出された事実。
対日協力者として志願して戦争に出征した兵士か共生的に動員されて戦争に行った
犠牲者であるか認定される様子も映し出されていた。
次に朝鮮半島での1910年日韓併合以降の年表が出て1919年の三・一独立運動
1937年の日中戦争勃発、1941年の太平洋戦争 戦時動員、皇民化政策
1945年の敗戦
国家総動員法(1938)により、軍事動員、労働動員(強制連行)、従軍慰安婦などもこの法律の産物である。
1910年以降1945年の日本敗戦までの間の日本植民地時代の朝鮮では同化政策が
推し進められた。具体的には1938年の朝鮮教育令改正で日本語を強要、1940年
朝鮮総督府(総督:南次郎)が創氏改名を実施、1937年以降朝鮮神宮をはじめ
約2,300の神宮を設置。
番組ではさらに軍事動員に関して初期のころ(1937年7月)は朝鮮人志願兵制度に関する意見
(朝参密第354号)に見られるように志願というかたちをとっていた。
志願兵の訓練所も設けられた。ここで天皇に忠誠を誓う教育が徹底的に実施された。
皇民化政策 を推し進めた朝鮮総督南次郎(1936-1942)さらに朝鮮人志願兵制度の
実務を進めた朝鮮軍参謀井原潤次郎、これを引き継いだ朝鮮総督小磯国昭(1942-1944)
の時代に朝鮮人の徴兵制が閣議決定(1942年5月)1943年に兵役法改正公布 朝鮮に
徴兵制が施行された。
元志願兵のチャン・ビョンムクさん(88歳)は1943年1月釜山港から行く先を告げられないまま
輸送船に乗せられ東部ニューギニア戦線(1942-1945)に送り込まれた。
ここでは送り込まれた16万人の8割以上が犠牲となった苛酷な戦場であった。
チャン・ビョンムクさんは8年前に朝鮮人として従軍し、大半が戦死した3,000-4,000人の
朝鮮人、受難戦没者のために慰霊碑をニューギニアに建てた。
労働動員の話では元女子勤労挺身隊員の ヤン・クンドクさん(80歳)の話があり、騙されて
日本で労働させられた話も記憶に残った。
特攻隊員として16歳で沖縄戦で戦死したパク・トンフンさんと2人の妹さんの証言も大いに
考えさせられるものであった。
日本人であれば殉死であるが朝鮮人にとっては受難戦没者である。
1945年8月15日の日本敗戦以降は日本に対して協力的であった人達は社会から
徹底的に白い眼で見られた。
また1965年日韓基本条約が調印され 同時に日韓請求権協定も結ばれ日本が5億ドルの
経済協力供与 請求権(強制労働などに対する)の問題は「完全かつ最終的に解決」
となった。
2004年11月には韓国では強制動員被害真相糾明委員会が活動をはじめ前述の
特攻隊員パク・トンフンについても被害が認定された。(2010年2月)
長いあいだ対日協力者として白い眼で見られながら生きてきた家族の名誉回復が
なった瞬間である。
戦後の歴史は以下のとおりです。
1945年の日本敗戦で米ソによる南北分割占領
1948年 大韓民国樹立 李承晩(イ スンマン)大統領
朝鮮民主主義人民共和国 首相に金日成(キム イルソン)
1950年 朝鮮戦争
1953年 板門店で朝鮮休戦協定樹立
1965年 日韓基本条約調印
1972年 南北政府統一に向け七・四共同声明
1980年 光州事件
1983年 中曽根首相日本の首相として初の韓国訪問
1990年 韓国盧泰愚(ノ テウ)大統領来日 天皇「両国の過去に痛惜の念」表明
1991年 韓国、朝鮮民主主義人民共和国 国連同時加盟
1993年 細川首相 首相で初めて戦争責任に言及