須磨寺 正岡子規の句碑 on 2010-8-12 |
の写真を撮りましたので紹介します。
「暁や 白帆過ぎ行く 蚊帳の外」と書かれています。
この石碑は昭和9年(1934)9月 正岡子規33年忌に弟子の青木月斗が建立
したものです。
正岡子規(1867-1902)は日清戦争の従軍記者として明治28年(1895)4月に
遼東半島に赴任したがその帰路神戸沖で吐血、5月22日に当時下山手8丁目に
あった県立神戸病院に入院7月23日までこの病院の2階2号室で過ごした。
その後7月23日から8月20日までの約1ヶ月を須磨の保養院で療養することに
なった。正岡子規は須磨を散策し、須磨寺にもたびたび行ったようである。
この間に67句を残しており、須磨寺を題材に詠んだ句もあります(下記)。
「須磨寺に 取りつくまでの 暑さ哉」
「御仏も 扉をあけて 涼みかな」
「須磨寺の 門を過ぎ行く 夜寒哉」
「秋風や 平家弔う 経の声」
「二文投げて 寺に縁借る 涼みかな」
現行寺にも正岡子規の句碑 「読みさして 月が出るなり 須磨の巻」
があります。
写真は小生のBlogを参照
また須磨浦公園には正岡子規と高浜虚子の句碑があります。
(下の写真 2010-8-24撮影)
ことづてよ 須磨の浦わに 昼寝すと 子規
月を思ひ 人を思ひて 須磨にあり 虚子
上記の句で子規の句は高浜虚子の東帰にことづてとして詠んだもの
虚子の句はホトトギス誌の正岡子規の50年忌記念号からとったもので
県会議員の酒井一雄氏が私費を投じ昭和28年(1953)4月に建立されたものです。
碑の文字は夫々直筆から採ったもので五十嵐播水の協力を得て句碑は完成しました。
はじめは須磨保養院即時の正岡子規の句は
「夕涼み仲居に文字を習はする 」を選んでいたが、「仲居」の文字があっては
ということから急遽変更となり上記の句になったエピソードも残っています。