須磨浦公園 松尾芭蕉の句碑 on 2010-8-24 |
紹介します。
上の写真は同じく須磨浦公園にある芭蕉の句碑で「蝸牛 角ふりわけよ 須磨明石」
芭蕉が1688年45歳のときに詠んだ有名な句で昔の摂津と播磨の国境の境川の畔で
詠まれたものである。境川は秀吉の天正検地のときから摂津と播磨の境界となった。
句碑は昭和11年(1936)4月に羅月吟社により建立されました。
松尾芭蕉が須磨・明石に寄った時の俳句で須磨寺で読んだ句
「須磨寺や ふかぬ笛きく 木下闇」の句碑について紹介した小生のBlogに
リンクしておきます。
この俳句(上記の句)の意味は下記のとおりです。
「須磨寺の背山の緑は深い。日差し強ければ、強いだけ
木陰も濃い。目くらみするほどの木下闇。その深き翳に
入ると、いずこからか、哀しい「笛の音」が聞こえてくる。
敦盛が吹く笛の音だろうか? いや、木の葉が風に揺れて
いるだけかもしれない…。
中七の「吹かぬ笛聞く」が絶妙の名句です。」
以上は俳子さんのHPより引用させていただきました。
松尾芭蕉は貞亨4年(1687)10月25日~貞亨5年(1688)4月23日尾張、伊賀、
伊勢、大和、紀伊から須磨・明石を歩き紀行文「笈(おい)の小文(こぶみ)」として
残しているがその最後のほうに載っている俳句で、芭蕉45歳の4月に須磨寺に
参拝したときに詠んだものです。
笈の小文は芭蕉死後、大津の門人川井乙州によって編集されたものです。
同じ時期に下記のような俳句も詠まれています。
「須磨の あまの矢先に鳴くか郭公(ほととぎす)」
「ほととぎす消え行く方や 嶋一ツ」
同じ旅先明石での蛸壺の句もご参照ください。
須磨浦公園には他にも与謝野蕪村の句碑もあります。
「春の海 終日のたり のたりかな」 蕪村
与謝蕪村(1716~1783年)が、須磨の浦で詠んだものといわれる。
蕪村の没後200年を記念して山形県酒田市の本間美術館蔵「蕪村自筆句稿貼交屏風」
より復刻してこの句碑を昭和59年(1984)春建立された。
句碑の写真は小生のBlog(須磨浦公園の蕪村&芭蕉の句碑と須磨観光ハウス花月)
を参照してください。
同じく須磨浦公園内に正岡子規と高浜虚子の俳句
ことづてよ 須磨の浦わに 昼寝すと 子規
月を思ひ 人を思ひて 須磨にあり 虚子
上記の句碑の写真も紹介します。
須磨寺 正岡子規の句碑 on 2010-8-12