横溝正史 生誕の地碑 on 2010-9-10 |
します。 撮影日は2010-9-10(金)です。
所在地:神戸市中央区東川崎町4-2 東川崎公園脇
地図はこちら。
横溝正史の紹介 By Wikipedia
横溝 正史(よこみぞ せいし、1902年5月24日 - 1981年12月28日)は、
日本の小説家、推理作家。本名は同字で「よこみぞ まさし」。当初は筆名も同じ
読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名(あだな)されているうちに、
セイシをそのまま筆名とした(エッセイ「本名と筆名」による)。
現在の兵庫県神戸市中央区東川崎町生まれ。
金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。また、薬剤師免許を持っていた。


横溝 正史 生誕の地碑について(現地説明板=野村恒彦氏記載より要約引用)
「八つ墓村、犬神家の一族などの作品で知られる探偵作家、横溝正史は明治35年(1902)
神戸市東川崎町で生まれた。正史は江戸川乱歩の推挙により、大正15年に上京
雑誌「新青年」の編集者を経て作家となった。初期の傑作には「蔵の中」「鬼火」などがある。
正史はその後、再び神戸に戻ることはなかったが、生涯神戸弁が抜けず、また作品の
あちこちに故郷を懐かしんでか神戸と思われるような街が折々描かれている。
正史が生まれて100年を経た平成16年(2004)、その偉業を永く顕彰すべく記念碑建立の
機運が高まり、関係者、地元自治会、兵庫県及び神戸市薬剤師会、東川崎小学校同窓会
神戸三中(現兵庫高校)武陽会、(社)日本推理作家協会その他、数多くのファンの協力
陳舜臣氏の揮毫「横溝正史 生誕の地」を頂き、記念碑のデザインは神戸山手大学の
武田則明教授が手がけて、本格的な建設が始められた。
平成16年11月23日、秋晴れの日、地元のみならず、遠隔の地からも熱烈なファンが集まり、
なごやかに除幕式が行われて、東川崎の新名所となり今日に至っている。
この記念碑は、一軒、変わった形をしているが、デザインをした武田教授は
2つのメビウスの輪がつながった形は複雑に絡み合った難事件が名探偵
により、見事に解決されていく横溝文学にイメージを得た。この輪は動的で
あryが、それを載せた立方体は重く安定して静寂である。
この安定は記念碑が変わることなく、永久にこの地に存在し続ける意志の
表現であり、同時に、神戸市の市章が、二つの輪が重なってできている
ことも考慮に入れたと述べられています。
正史作品は没後長きを下手今日でも書籍のみならず、劇場映画、テレビ映画
などにも再三取り上げられ人気を博している。また最近は韓国、中国、タイ、
アメリカ、ロシア、フランス、イギリスなどの各国語に翻訳、出版され、国際的
にも注目される存在となっている。」
*メビウスの輪(メビウスの帯)
帯の両端を180度ひねってつないだもの。これは表も裏もないので、面の
上をたどってゆくと、裏側に回り、その後再び表側に戻ってきます。
この記念碑の各面に書かれている内容
正面 横溝正史生誕の地 陳舜臣
左側面 平成16年11月23日
横溝正史先生 生誕地碑建設委員会
東川崎ふれあいまちづくり協議会
建之
右側面 横溝正史
明治35年 神戸市東川崎に生まれた。
大正10年 処女作「恐ろしき四月馬鹿」
を発表して以来多くの傑作を著した。
神戸のロマン的傾向を持つ本格的推理
小説の基礎を築いた。
昭和56年没
代表作
本陣殺人事件. 蝶々殺人事件. 獄門島.
犬神家の一族. 悪魔が来りて笛を吹く.
八つ墓村. 悪魔の手毬歌
生家の薬屋さんは新開地にあった(今はコイケ畳店になっている)ようである。
推理作家であった中学時代(神戸三中=兵庫高校)の親友の兄の影響で、
外国船員が売り払ったペーパーバックスの推理小説を読むようになり創作も
手がけるようになった。
平成16年(2004)11月23日に除幕式が行われたのですが、横溝正史のご子息の
横溝亮一先生、お孫さんの奥村香織氏など多くの関係者が列席されたそうです。
生誕を記念して毎年11月下旬に探偵小説の識者を招いて講演会も実施。
2016-1-24追記