旧岡崎邸 in 須磨 |
須磨離宮公園であったので写真を撮らせていただきました。
撮影:2010-9-20
大正7年(1918)に建てられたそうです。
岡崎財閥について、Wikipediaより部分引用させていただきます。
「岡崎汽船の創業
創業者の岡崎藤吉は、明治10年代後半頃(20代後半)から幾つかの事業に
参画する中で、酒造家が東京の問屋から代金回収するまでの間に資金を
融通する金融業に失敗して破産、就任していた役職を全て退いていたが、
明治27年(1894年)、一念発起して海運業を起こす事を決意する。
ただ破産を経験した藤吉には資金が無かった事から、地元の実業家など、
これまでの知己を頼り、苦労の末に無担保で資金を確保する事に成功、
その資金で1,270総トンの貨物船NINGBO号をイギリスから購入して、
大洋丸と名付けた。更に事務所を神戸に開設して岡崎汽船を創業。
岡崎汽船の経営拡大と保険業への進出
明治37年(1904年)2月に日露戦争が勃発すると、すぐさま貨物船4隻を
イギリス及びノルウェーから購入して、大洋丸と共に御用船として軍に提供した。
戦争を通じて海運業界も軍需景気に沸き立っており、この好機を生かした事で
岡崎財閥の地盤が固まったと言える。
明治40年(1907年)5月、関西の海運会社の社主らを取締役に迎え、
神戸海上運送火災保険株式会社(現ニッセイ同和損害保険)を設立、
不況下においても瞬く間に事業を全国展開していった。
銀行設立と財閥形成
大正6年(1917年)5月、これらの利益を元手に1,000万円の巨費を投じて
神戸岡崎銀行(現三井住友銀行)を設立、神戸財界での揺るぎない地位を確立した。
また、義父が創業に参画した山陽鉄道の重役を務めるなど、幾つもの会社の
重役に名を連ね、藤吉は神戸財界の雄と呼ばれるようになる。
エピソード
世間一般に、山崎豊子が書いた小説華麗なる一族は、岡崎財閥と岡崎家を
モデルに書かれたとされる事が多いが、山崎自身はそれを否定している。
ただし、山崎が華麗なる一族を発表した際、神戸銀行会長で岡崎家の一員
であった岡崎忠が、彼女を訴えると烈火の如く怒った為、甥の岡崎真雄は
それをなだめたと、真雄自身が後に語っている。」
現在須磨離宮公園には岡崎家の和室のみが残っています。
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