纒向遺跡から卑弥呼が供えた?2,000個以上の桃の種や竹製のかごが発見 |
のNEWSが各メディアから発表され話題となった。
現地説明会も2010年9月19日(日)に開催されたようであるが、今回は残念ながら
諸用のため行けなかった。
そこで、覚えのために、メディアの発表内容などについて、記載しておきます。

上の画像は2010-9-18神戸新聞の報道内容である。
記事の内容が読めないと思いますので要約して引用させていただきます。
「金原正明奈良教育大学教授(植物考古学)の話では2000個ものモモが一度に
出土することは過去に例がない。モモは3000年前に稲作とともに大陸から伝来し
中国の思想では神聖な果物とされていた。無病息災や国家安泰を祈る国家規模の
祭祀に使用されたのであろう。纒向遺跡が首都的な場所であったことがうかがわれる。
五穀豊穣を願う新嘗祭(にいなめさい)などにつながる祭祀の原型がすでにこの時期
(3世紀前半)にあったのではないか」
記事にモモの種が見たかった穴が柵の南側に南北4m、東西2m、深さ80cmであったと
書かれてあった。
2010年9月20日14時04分 読売新聞電子版では現地説明会に2,000人の見学が
あったこと。調査担当の橋本輝彦・桜井市教委文化財課係長が「穴は上部が壊されており、
桃の種は倍以上あったのでは」と説明と書かれていました。
2010-9-17 17:00日経新聞電子版には
穴から文様を刻んだ壷や、祭祀用と思われるミニチュア土器、ヘラ状筒型の木製品、かご
獣骨などが出土土器や木製品は意図的に破砕されていたと報じている。
毎日新聞 2010年9月20日 地方版での報道では
昨年11月に確認された大型建物跡の南側で、東西に伸びる柵(さく)列跡28メートル分が
見つかった。柵列跡の外側では建物跡などが確認されず、橋本係長は
「柵で囲われた場所から一定の空間を取ることで、外との隔絶性を高めたのだろう。
この一角がランクの高い場所であったことを示している」と説明した。
これらの記事から益々この地が卑弥呼が祭祀を行った場所であるような連想を
してもしごく自然なことではないかと思う。
2009年11月14日の現地説明会で撮った写真を参考にアップしておきます。(下の4枚)




2009年11月14日の見学記1
2009年11月14日の見学記2