三木城跡 on 2010-11-4 |
いわゆる三木合戦と呼ばれるものです。「三木の干殺し」といわれ、全国的に
有名です。天正6年(1578)4月から1年10ヶ月にも及ぶ兵糧攻めに対して、
天正8年(1580)1月17日に別所長治一族の自害により開城し、篭城した
人々の命が助けられました。
三木城は元和3年(1617)徳川幕府の一国一城令により廃城となりました。
2010年11月4日に撮った写真を紹介します。
上の写真は三木城跡の本丸にある別所長治公の辞世の歌碑です。
「今はただうらみもあらじ諸人のいのちにかはる我身とおもへば」と書かれています。
上の石碑は別所一族の辞世の句碑です。
上の写真は三木城跡の天守閣からみた三木市北側の市街地眺望。
上の写真は三木高校の生徒が製作した看板で、私の顔が写っています。
上の写真は三木市が作成した看板で昔の城の周辺を表したものです。
本丸は上の丸公園となっており、二の丸は図書館や堀光美術館がある部分で
新城、鷹ニ尾城は市役所周辺になります。
現在三木城跡は上の丸公園として整備されています。(上の写真)
上の写真は別所長治公の石像で、三木ライオンズクラブ結成40周年を記念して
製作されたものだそうです。
三木合戦絵巻・別所治定の奮戦図で上の丸稲荷神社の絵馬です。
同じく上の丸稲荷神社の絵馬で、三木城の天守閣を表現したものです。
上の写真は上の丸稲荷神社。