敏馬神社 in 神戸市灘区 on 2010-12-17 |
写真紹介します。撮影日は2010-12-17。敏馬神社は八部郡の式内社で、旧社格は県社。
敏馬神社の基本情報
住所:神戸市灘区岩屋中町4-1-8 TEL:078-861-2091
大石、味泥、岩屋、HAT神戸の産土神
御祭神
素戔嗚尊(すさのうのみこと)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
熊野座大神(くまぬにますおおかみ)
上の2枚の写真は敏馬神社の鳥居と常夜燈のどの石造物です。
天保年間(1830-1843)の銘あり。正確には天保2年(1832)だったかな?
神功皇后の摂政元年(201)の創建との伝えがあります。
風土記の記載によれば「美奴売(みぬめ)とは神の名なり。神功皇后が新羅へ
出兵の際、神前松原(現在の阪急神崎川駅近く)で神集いをなされた。その時
能勢の美奴売山(大阪府豊能郡三草山)の神が来て、吾が山の杉の木で船を
造り行かれるならば幸いありとのご教示に従い大勝利となった。
ご帰還の節この地で船が動かなくなり再び占い問うと、神の御心なりと
故に美奴売の神様をこの地にお祭りし船も献上した。」
上の写真は拝殿に登る階段。境内は緑も多く落ち着きます。
上の写真は万葉歌人・柿本人麻呂の歌碑。
「玉藻かる 敏馬をすぎて 夏草の 野島の埼に 舟ちかづきぬ」と詠んでいます。
この地は敏馬の浦(みぬめのうら)として大和時代より大陸との往来の要衝で
百船の泊る港と呼ばれまた白砂青松の景勝地としても名高い。
上の写真は稲荷神社。
上の写真は拝殿。
上の写真は后の宮(きさいのみや)前述の風土記の記述で神功皇后の創建伝説より
御祭神として神功皇后を祭っています。
神功皇后祠と書かれた石碑は昭和13年(1938)西北の民家から発掘された
もので室町時代の作といわれています。
石灯籠は寛文13年)1672)奉納の銘があり敏馬神社で一番古いものだそうです。
上の写真は松尾(まつのお)神社
祭神:金山彦神(かなやまひこのかみ)
大山祇神(おおやますみのかみ)
舟玉神(ふなたまのかみ)
灘五郷の一つ西郷が氏子で酒造業と酒を主に運搬する廻船業が多いに栄え、
廻船業者より奉納された石灯籠(6基)と船絵馬10数点が現存しているそうです。
拝殿の東側の石碑
過敏馬浦之時 田邊福麿
八千桙の 神の御世より 百船の 泊つる泊と 八島国 百船人の 定めてし
敏馬の浦は 朝風に 浦浪さわぎ 夕浪に 玉藻は来寄る 白沙 清き濱邊は
往き還り 見れど飽かず 諾しこそ 見る人ごとに 語り継ぎ 偲びけらしき
百世歴て 偲はえゆかむ 清き白濱
写真は省略しますが隣に反歌の石碑があり
「まそ鏡 敏馬の浦は 百船の過ぎて往くべき 濱にあらなくに」と書かれています。
また、「浜清く浦うるはしみ神世より千船の泊つる(はつる)大和太の浜」
の反歌もある。敏馬(みぬめ)がこの歌から判断して和田岬沖の大輪田の泊とする
説もあるが、大和太は単なる海の美祢であろう。
武庫の水門(むこのみなと)、敏馬の水門(みぬめのみなと)も奈良時代の後期には
消滅し、大輪田の泊のみがあらわれてくる。
(神戸の歴史の著で有名な落合重信氏の著書より引用)
上の写真は拝殿横(東側)の石碑までの飛び石。
上の写真は拝殿のアップ写真です。