伏見稲荷大社の境内にある荷田春満(かだのあずままろ)の旧宅 |
あります。2010-12-29に訪問しましたので写真紹介します。
国学四大人とは荷田春満の他、加茂真淵 (かものまぶち)1697~1769
本居宣長(もとおりのりなが) 1730~1801、
平田篤胤 ひらたあつたね(1776~1843)である。
荷田春満は国学の始祖と仰がれている。
Wikipediaによる解説
「荷田春満(かだ の あずままろ、寛文9年1月3日(1669年2月3日)~ 元文元年7月2日
(1736年8月8日))は、江戸時代中期の国学者・歌人。
通称斎宮(いつき)。初名は信盛と称し、のちに東丸。父は伏見稲荷神社
(現在の伏見稲荷大社)の社家で御殿預職の羽倉信詮(はくら のぶあき)。
母は細川忠興の家臣深尾氏の娘貝子。
主な著書に『万葉集僻案抄』『春葉集』『創学校啓』『伊勢物語童子問』などがある。」
大石内蔵助とは、旧知の間柄で赤穂浪士の隠れた後援者であった。
上の写真が荷田春満の旧宅の門と塀で中に書院、神事舎があるようです。
旧態を留めており国の史跡に指定(大正11年3月8日)されています。
上の写真は荷田春満の旧宅に隣接してある東丸神社です。
学業の神様です。
荷田春満の養子に荷田在満(かだ の ありまろ)がおり彼も国学者として著名である。
荷田在満は荷田春満の弟羽倉高惟の子供である。
荷田在満の墓は東京都台東区の金龍寺の境内にあり以前訪問したことがあるので
そのときの記事にリンクしておきます。