村上帝社 on 2010-9-15 |
が祀られています。2010年9月15日に訪問した時の写真を紹介します。
上の写真は村上帝社の遠景です。
平成22年7月に新調された案内板の内容を下記に引用させていただきます。
「この社(やしろ)にはつぎのような伝説があります。その伝説のひとつが謡曲
「絃上(げんじょう)」(玄象)でうたい語られ、広く世に知られております。
『平安期の末期、太政大臣藤原師長(ふじわらのもろなが)は琵琶の名人で
あったが、さらに奥義をきわめたいと入唐の志をもってこの須磨の地まで来ました。
ところが村上天皇と梨壷女御(なしつぼのにょご)の神霊が現れて、琵琶の
妙手を授けたので入唐を思いとどまり帰京した。』といわれており、
一説に『籠宮から師長に捧げた琵琶の名器〈獅子丸〉を埋めた場所である。』
とも伝えられています。いずれにしても、村上天皇にまつわる
伝説からこの地に村上天皇を祀り、神社としたものと思われます。
また、この地はもと前方後円墳があり、その形が琵琶に似ているので
このような伝説に結びついたともいわれています。
帝社への参道の左角に古い標石が建っており、それには、正面に
『村上帝社琵琶達人師長』と刻まれています。
毎年十月一日には例祭が行われます。」
上の写真は村上帝社の本社(右手)と末社(右手)。末社は天降稲荷神社と書かれていました。
「天下りの稲荷」と解釈されるような名前です。 すなわち定年を迎えた官僚が、良い
天下り先に恵まれるようにと・・・お参りにどうぞ来てください。
多分実際は神様が天から降りてこられると解釈すろのでしょうが----
上の写真は末社の天降稲荷神社。
以前に訪問(2009-2-15)時の小生のBlog紹介
上の写真は村上帝社の右手にあるお地蔵様等の写真です。
上の写真は村上帝社のサイドビューです。
また村上帝社は能の「絃上」(げんじょう)、「玄象」(げんじょう)ゆかりの地でもある。
現地の謡曲史跡保存会による説明書きより引用させていただきます。
「琵琶の名手太政大臣・藤原師長は唐(中国)に渡りなおも奥義を極めたいと願い、
都を出立して須磨の汐汲みの老夫婦の塩屋に宿る。
夫婦の奏でる秘曲「越天楽」の「感涙もこぼれ嬰児も躍るばかり」の神技に感じ入った
師長は渡唐を思い留まった。この老夫婦は、名器「絃上」の所持者村上天皇の
梨壷の女御が渡唐を止めさせる為に師長の前に現れた精霊であった。
やがて村上天皇が本体を現し、竜神を呼んで今ひとつの名器獅子丸の琵琶を持参
せしめて師長に授け、喜びの舞をなし給うという国威宣揚を意図して描かれた曲である。
村上帝社は摂関政治を抑え、文化の向上や倹約を旨とされて「天暦の治」として
名高い社である。師長の名器獅子丸を埋めた琵琶塚は、もと境内にあったが、
今は線路で二分されている。」
上記の琵琶塚については小生のBlogでも紹介しています。
上の2枚の写真はお地蔵様の裏手にあり一石墓とお地蔵様です。源平合戦での
犠牲者を弔ったものかもしれません。
以前紹介の小生のBlog(村上帝社)も参照ください。
尚、藤原師長(ふじわらもろなが)は、平家物語では、妙音院という号で登場しています。
藤原師長は保元の乱で死亡した超有名人藤原頼長の子供で父に連座して土佐に流され
たが、後白河法皇に遇され太政大臣まで昇進した。
しかし法皇が平清盛により幽閉された時に藤原師長は尾張に流罪となった。
平家物語巻第三「大臣流罪」で藤原師長は熱田神宮に参拝しているが流罪を
事ともしていないようである。