須磨ニュータウン |
イベントで「源平一の谷合戦の虚実」をテーマにした講演会と筑前琵琶の弾き語り
を聴いてきました。内容と感想など詳細はまた後日書きたいと思います。
講演会・演奏会の案内
(1)日時
平成23年2月6日(日曜) 10時30分から12時30分 (開場10時)
(2)開催場所
須磨パティオ「健康館」3階(須磨区中落合2-2-1 市営地下鉄名谷駅下車すぐ)
(3)内容
・講演会
講師 神戸大学名誉教授 高橋昌明氏
演題 「源平一の谷合戦の虚実」
・演奏会
演奏者 片山旭星氏
演 目 筑前琵琶による平家物語「祇園精舎」「敦盛」
200名の定員に対して立ち見ができるほどの盛況ぶりでした。
以前私のBlogで下記の記事を書いています。小生のBlog。
「鵯越の逆落しは義経がしたというのが定説になっていますが、
神戸市史の第10巻「歴史編II 古代・中世」が本年6月?に刊行され、その中で
鵯越の逆落しは義経ではなく多田行綱(ゆきつな)によるという新説が記載
されていますので紹介します。
上記の神戸市史のPage356よりPage368にかけて一の谷合戦に関する
記述の中でこの新説がその根拠とともに述べられています。
たしか神戸新聞でもその紹介記事があったことを記憶していますが、切り抜き
を忘れてしまったので紹介内容は不明です。
一ノ谷合戦(1184年)では史書「吾妻鏡(あづまかがみ)」や「平家物語」と、
京都の貴族右大臣九条兼実の日記「玉葉(ぎょくよう)」を比較検討。
いわゆる「鵯越の逆落し」は源義経の奇襲として長く語られてきたが、実際には
摂津源氏の多田行綱(ゆきつな)が三木から夢野(現兵庫区)に抜ける道を突破した
攻撃だったとの説を示した。
玉葉の2月8日条に書かれている内容で
「多田行綱、山方より寄せ、最前に山手を落とさる」
という記述を根拠とし、さらに山の手と鵯越が同一の場所であることを示した。
湊川合戦において足利尊氏方の武将斯波(しば)高経が攻め込んだ場所を
「梅松論」では鵯越、太平記では山の手としている点である。
著者は「義経は一ノ谷(現須磨区)を攻略し、その活躍が英雄的、超人的に語り継がれる
過程で勝敗を決する「逆落し」の物語が生まれた」としている。
玉葉が合戦直後の伝聞による記載であり混乱の記述(例:城郭が焼かれてたてこもった
兵士がすべて殺害され、海上の舟の多くも焼き討ちされて宗盛も焼け死んだのではないか
とする噂も記載されている。)もあるとの指摘もされています。
源義経、多田行綱のいずれにせよ鵯越の逆落しなどの源氏の攻撃で平氏が大敗
したことは事実である。
一の谷(鵯越)の逆落しをした場所について、一の谷説、鵯越の説または
逆落とし自体を虚構とする説などがあろとのみ述べられており、今回の神戸市史では
はっきりとした結論には言及されていません。」
高橋先生の講演でも上記の源平合戦一の谷の戦いで坂落しをした人物は
義経ではなく多田行綱(ゆきつな)であるとの考えを示されました。
また坂落しの場所については鵯越の説を支持していると話されていました。
さて本日は、これを機会に須磨ニュータウンについて調べてみました。
須磨ニュータウンは入居年の古い順に北須磨団地、白川台団地、高倉台団地
名谷団地、落合団地、横尾団地の6つの団地の集合体であります。
ニュータウンの計画構想した時期の計画人口は12万人であったが平成22年
現在の人口は約8万人である。
1.須磨ニュータウン6団地の概要
団地名 概略人口(2010) 面積
入居年 施工者
北須磨 昭42(1967) 0.6万人 兵庫県労働者 80ha
(友が丘) 住宅生活協同組合
白川台 昭45(1970) 1.0万人 白川土地区画整理組合 70ha
高倉台 昭48(1973) 0.8万人 神戸市開発局 120ha
名谷 昭50(1975) 2.1万人 神戸市開発局 280ha
落合 昭53(1978) 2.6万人 住宅都市整備公団 240ha
横尾 昭54(1979) 0.9万人 神戸市開発局 240ha
2.須磨ニュータウンに関係する歴史年表
昭和33年(1958) 多井畑土採りが開始(高倉台)
昭和39年(1964) 須磨ベルトコンベア運転開始
神明バイパスが開通
昭和41年(1966) 北須磨団地造成工事着工、神戸女子大学が開設
須磨区役所庁舎が中島町に新築移転
昭和42年(1967) 須磨離宮公園開園、北須磨団地入居開始
昭和43年(1968) 神戸高速鉄道開通
山陽新幹線 奥畑第1トンネルが着工(須磨ニュータウンの地下)
(山陽新幹線が博多まで開通したのは昭和50年3月10日)
昭和44年(1969) 西神戸有料道路(現市道夢野白川線)開通
昭和45年(1970) 白川台団地への入居開始、県立子供病院が開設される
第2神明道路が開通
昭和46年(1971) おらが山緑化(公園整備)、神戸市電全線廃止
昭和47年(1972) 北須磨高校開校
昭和48年(1973) 高倉台団地入居開始
昭和50年(1975) 名谷団地入居開始
昭和51年(1976) 須磨海づり公園が開園
昭和52年(1977) 市営地下鉄山手線(名谷-新長田)開通 3月13日
須磨東高校開校、須磨区役所の北須磨支所が開所
名谷団地が垂水区から須磨区に編入
昭和53年(1978) 落合団地入居開始
昭和54年(1979) 横尾団地入居開始、名谷センタービルが完成
昭和55年(1980) 須磨パティオがオープン
落合クリーンセンターが完成
昭和56年(1981) 国立神戸病院(現神戸医療センター)が開設
昭和57年(1982) 北須磨文化センターが開設 、聖生園、愛生園が開設
昭和58年(1983) 市営地下鉄山手線(大倉山-新長田)開通
須磨友が丘高校が開校、啓明女学院が移転
昭和59年(1984) 神戸総合運動公園陸上競技場が完成
昭和60年(1985) 神戸グリーンエキスポ’85が開催
市営地下鉄山手線(大倉山-新神戸)開通
市営地下鉄山手線(名谷-学園都市)開通6月1日
ユニバシアード(8月24日)開幕
神戸総合運動公園が垂水区から須磨区に編入される
昭和62年(1987) 市営地下鉄山手線が全線開通(西神中央-新神戸)3月
地域福祉センター高倉台に完成(神戸市の第1号)
須磨水族園開園
昭和63年(1988) グリーンスタジアム神戸完成(現スカイマークスタディアム)
平成元年(1989) フェスピック神戸大会開催
平成4年(1992) 須磨警察署が大池町に新築移転
平成5年(1993) グリーンアリーナ神戸完成
平成7年(1995) 阪神淡路大震災(仮設住宅、復興住宅が設置される)
(北須磨支所管内で震災の被害がほとんど無かった割合は約40%)
高倉台団地では約80%で神戸市内で被害が最も少ない地域であった
オリックスブルーウェーブが初優勝
平成12年(2000) 名谷健康館が完成
平成18年(2006) のじぎく兵庫国体が開催、全国障害者スポーツ大会開催
平成21年(2009) 須磨翔風高校が開校
須磨ニュータウンは一番新しい横尾団地でも30年以上の歴史があり、人口の
高齢化率=65歳以上の人の割合は 6団地全体では約26%で西神ニュータウンの
15%と比較すると高い友が丘などではすでに42%でありかなり高齢化の街
であると言えます。団地の中にはエレベーターの無い建物も多数あり高齢者の
住み替え支援や若い世代に住んでもらうための施策などが必要である。
唐突ですが名谷周辺の写真を添付しておきます。

上の写真は名谷駅のタイル画(すばらしいものですが作者などの情報がありません)

上の写真は北須磨文化センターに展示されている神戸層群からの植物化石

上の写真は落合池周辺からの眺望。

















