神戸市須磨区 妙法寺村の弘法の井戸 |
神戸市須磨区妙法寺谷野にあります妙法寺村の弘法の井戸を写真紹介します。
赤字は神戸市談310号 平成25年(2013)1月のPage50-52で
妙法寺の住職の加門得勇師が寄稿されている記述から2015-4-2に
追記したものです。
青字はそれ以外で2015-4-2に追記したものです。
現地の説明書きより弘法の井戸の伝説を要約引用させていただきます。
「今から1200年ほど前の暑い夏にみすぼらしい姿のお坊さんが
暑くてのどがからからじゃお水を一杯いただけませんかなと妙法寺の村人に
頼みました。そこで一杯の水を甕から汲んできてさしだしました。
お坊さんは大変喜びました。
妙法寺村には湧水がなく飲み水で困っていた妙法寺村の話を聞いた
お坊さんが持っていた杖で地面をトントンと叩くと、きれいな水が
コンコンと湧き出てきた。お坊さんはニッコリと
笑うとひとりうなづいて村から姿を消してしまいました。
お坊さんが誰だか判らなかったのですがいつの間にかそれが
弘法大師(空海 774~835)であると伝えられるようになった。
村人は税や役にも苦しめられていたということも書かれています。」
この伝説が妙法寺村の古老 丸山竹松さん(明治21年生まれ)と
藤田歌太郎さん(明治27年生まれ)からお聞きした話であるという
解説も加えられていました。
古くから言い伝えられてきたことから、いかに地元の人々にとって
この水が貴重で大切にされてきたのかがわかるような気がします。
現在も柄杓があり飲み水として使用できるようです。但し沸騰して飲んで
くださいとの注意書きあり。
藤田歌太郎さんは「ほら見てみ。あそこに足跡みたいな恰好をした
窪みが有るやろ。あれは、な、お大師さまの足跡じゃ。この場所にお大師
さまが来られて杖をコンコンとお突きになられたんじゃ。そしたら、な、
綺麗な水がコンコンと湧いてきたんじゃ。最初はこのお坊さん誰か分からん
かったけど、後であの有難いお人はお大師さまに間違いないと、みんな、
そう思ったんじゃ。罰あたりな事して水を枯らしたり白く濁らしたり
したらアカン!」
竹松さんはこの弘法井戸の隣に住んでおられ戦後は地域の遺族会の会長
を務められた。
昭和40年代、市営地下鉄工事や横尾団地の造成が始まった頃、突然
異変が起こった。未踏の山々の大自然が切り開かれ伏流水が少なく
なったのか、昔より綺麗な水が溢れ流れ出していた井戸水の水位が
下がり始め、今では30cm位下がってしまった。
阪神淡路大震災の時にはこちらの弘法井戸が生活水として活躍した
エピソードも上記神戸市談で紹介されていました。
上の2枚の写真は妙法寺村の弘法の井戸。2011-2-8撮影。
上の写真は説明書きに貼られてあった絵の写真です。
この地には近くに妙法寺川が流れているが、水を蓄える技術がなかったため
水に困っていたのだと推測する。
この地では高野豆腐の製造を昭和初年まで作っていたそうで、高野山弘法大師
と縁が深かった土地柄でもあった。
私が以前住んでいた神奈川県秦野市にも駅から歩いて5分ぐらいのところに
「弘法の清水」があるのを思い出しました。この水は近くの工場の井戸の取水
などの影響で汚染。
弘法の水をまとめたサイトがありましたのでリンクさせていただきました。
こちらも昔住んでいた寝屋川市にも弘法井戸があるようです。
寝屋川市のHPへリンクさせていただきます。
http://www.city.neyagawa.osaka.jp/organization_list/kyoiku_shakaikyoiku/bunkasport/bunkazai/namesagasu/1378176994817.html
京阪香里園駅→湯屋が谷弘法井戸→友呂岐神社→
聖母女学院→四方黒池→成田山不動尊・畠山義豊の墓→
田井の弘法井戸→国松の弘法井戸→春日神社→
伝・秦河勝の墓→八坂神社→京阪寝屋川市駅(終点)で
田井と国松の弘法井戸を紹介されているサイトにリンク
http://homepage3.nifty.com/kamo_a_n/hatikaduki/starthp/kou.html
真言宗の須磨寺には須磨霊泉や五鈷水がありこれらも弘法井戸や弘法水に属する施設です